2009年1月14日 (水)

「願いに変わりはないのにそれぞれを隔てる言葉」についての考察

Photo

前回のブログ「象のいる星」を書くにあたり、なぜか気になっている事がある。それが妙に残っていて、今も自分の中で燻っている。

たぶん、ビッグイシューとホームレスの事を調べている時に遭遇したホームレスに関わる2つの文がそれだ。


「ビッグイシューは、ホームレスの人の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業です。」

「私たちは、ホームレス状態にある方たちへの法的支援を行うために、結成されたグループです。」

どちらも、ホームレスの人々の力になりたいと活動している貴重な存在であることは紛れもない事実として理解できた。

でも、何かが引っかかる。

何度も読み返してみると、前者が「応援」している事業であり、後者は「支援」している団体だということがわかった。
両者の間には、本当に違いがないのだろうか。


意味を調べてみる。

「応援」 力を貸して助けること。
「支援」 力を貸して助けること。

あれ?同じじゃないか。


別の辞書で更に調べてみる。

「応援」 他人の手助けをすること。
「支援」 他人を支え助けること。 

少し違いが出て来た。

「手助け」と「支え助ける」

大きな違いは感じられない。


類語を調べてみる。

「応援」 支援、声援、後援。
「支援」 応援、援助、後援。

何だ、お互いの言葉も含まれている。


唯一の違いを検証する。

「応援」→「声援」声をかけて元気づかせること。
「支援」→「援助」困っている人に力を貸すこと。


ここで明らかに道が分かれてきた。

運動会で仲間にするのは「応援」であり「支援」ではない。だから、声をかける。
困っている被災者にするのは、往々にして「支援」といわれており「応援」とは表現されない。でももしかすると「応援」しても良いのではないか。
限りなく同義ではあるのに、私にとって「応援」する側とされる側、「支援」する側とされる側の立場の違いが、この二つの言葉の持つ微妙なニュアンスを、居心地悪く感じていたのかもしれない。

現状は、支援する人たちが自分の立場はされる人とは別などと思っていないし、ましてや施しているなんて、これっぽっちも思っていないことはよくわかる。しかも現場の人たちがどれほど骨身を削って日々努力されているのか、我々の想像を遥かに越えるハードなものであるに違いない。

それなのに、なぜ私は違和感を感じてしまったのか。

さらにうがった見方をすれば、前出の「手助け」と「支え助ける」だって、できない相手を助けてやってる的な意味合いを感じなくもないのだ。


言葉って難しい。

2008年11月 4日 (火)

見えるものと見えないもののあいだ

Photo_2
ネットで原美術館をチェックしていたら、米田知子展「終わりは始まり」が開催されているとあった。
彼女はロンドンを拠点に活動している写真家で、近年めざましい活躍をしているという。
不勉強な私は、彼女の名前をこの写真展で初めて知った。
「終わりは始まり」とは、なんと素敵な響きだろう。


http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html



焼け焦げた壁紙

夜明けの山並みに浮かぶ煙に包まれた工場

部屋におかれたソファ



一見するとさりげない風景や、生活のワンシーンを切り取った情景のような写真が並ぶ。
私はこういう写真が好きだ。

ひとつひとつの作品を、丁寧に見て行こう。
パンフレットに目を落とし、タイトルを見た瞬間、頭を殴られたような気がした。

違う、これはただの情景写真などではない。


その理由は、彼女が付けたタイトルにあった。

焼け焦げた壁紙の下には、暖房の風向がある「Heat」
 あの寒い日々、その風は部屋を暖め、人に温もりを与えたのだろう。その積み重ねとして、風は壁紙をも焦がしたのだ。

山並みに編み込みまれた、これこそ関東軍が爆弾を仕掛けた南満州鉄道の「線路」
 満州事変勃発の場となった瀋陽、その地を臨む。

この部屋で最後の瞬間を生きた二人と。
 「アドルフとエヴァのソファ」



 

最も強く彼女の感性に魅きつけられた作品、それが今日の日記の題名にした作品集「見えるものと見えないもののあいだ」

これは眼鏡をかけていた実在の人物たちが、彼らにまつわる書面や楽譜がぼやけている中、眼鏡のレンズの先だけはくっきり見えるというもの。

「マーラーの眼鏡」
 交響曲第10番(未完成)の歌詞が五線紙に書かれている。
 レンズの先には「Leb'Wohl(永遠にさようなら)」文字がくっきりと読み取れる。

「マハトマ・ガンジーの眼鏡」
 『沈黙の日』の最後のノートを見る。

「トロツキーの眼鏡」
 未遂に終わった暗殺計画の際に燃やされた辞書を見る

「谷崎潤一郎の眼鏡」
 松子夫人への手紙を見る。


現代に於いて、歴史的な出来事を画像で伝えるとするならば、できる限り即座に現場の悲惨さを伝える報道写真が思い浮かぶ。

彼女の手法は、それとはまったく異なる。
あまりにも日常的な情景がそのタイトルと結び付いた時、それは一瞬にして人間の犯した行為を鋭く抉り取り、見る者にその事実を激しく伝える。
これは、しっかりとした主張を持った事実の裏付けをアートとした写真なのだ。
米田知子との出会いは、ドキュメントの新たな在り方を知った瞬間だった。


「見えないものを見る」視線といえるものこそ、彼女の特徴であるという。
そして彼女自身は「記憶と時間」をテーマにしているという。



米田知子を検索して行くうち、薄い緑のカーテンの揺れる窓が広がるホールの写真に出会った。
「教室」
 遺体仮安置所をへて、震災資料室として使われていた/芦屋

「震災から10年」をテーマに芦屋市内を撮影した「シーン」のシリーズがあると知った。
この作品は、現在開催されている横浜トリエンナーレの2005年に展示されたという。

トリエンナーレ、今年は絶対に行こうと思っていた。
2005年。
行けていない。

こんなに悔やむことがある。
だから、ライヴも展示も、怠けず、今をチェックしていなければいけないということなんだ。

http://www.shugoarts.com/jp/yoneda.html
http://em.m-out.com/ec/html/category/001/002/172/category172_0.html
http://artshore.exblog.jp/2113492
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/collection/1/exhibition3.html
http://www.eu-japanfest.org/program/13/japan/in_between09.html
http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/680.html






ケンウッド トワイライトライヴ
スクエア・丸の内で不定期に月2、3回開催される平日の夕方19:00〜20:00のライブイベントです。

『ソロピアノwithアート。shezooライブ』
日時:     11月7日(金) 19:00〜20:00(開場18:45)
出演:     shezoo(ピアノ)
内容:     映画音楽、CM、舞台などの音楽の制作を手がけ、卓越したピアノ演奏家として活躍するshezoo(シズ)のソロライブです。CDアルバム「ネイチャー・サークル」でコラボレートした霧島留美子の絵画を大画面に映しながらの演奏。深まる秋に相応しい音楽とアートをお楽しみ下さい。
予約:     TEL:03-3213-8775 (ケンウッド スクエア・丸の内まで) 
http://www.kenwood.co.jp/j/square/event/twilight.html

その他のカテゴリー

最近の写真