「手段と媒体」あるいは「記憶と憧れ」
音楽は、己を表現するひとつの手段かもしれない。それを手段ではなくて、自分の届けたいなにかを伝える、どこかに連れて行ける媒体になり得ないのか。
そんなことをずっと考えています。
そしてその答えを示唆してくれたかもしれない3人のクリエータに感謝して書き残します。
憧れと記憶が滲みだしてゆく。
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中家 春奈。リヨンに住んでいてヴィオールとクラヴサン、中世フィドルを弾いているいるとのこと。
中家さんが震災から10年目によせて作曲された「Se souvenir avant le 11 mars 2011 」の動画。
https://youtu.be/RlTOFpqeOgY・
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Riquo Kuu。作詞作曲をし、自分で歌い弾く人。
以前対バンライブで演奏されているのを聴いて吸い込まれそうになり、思わず買い求めたアルバム「The Twin Pianos」。
https://youtu.be/QkHI38ZknI4
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音楽帳工房。DTMで作品を制作しているアレンジャー。
古楽おそるべし、大きな衝撃を受けたマラン・マレ作曲「膀胱結石切開手術図」にチェンバロ伴奏をつけてアレンジ、キャプション付きの動画。
説明付きのnoteはこちら
https://note.com/ricercar/n/n90d0051a0843
動画のみはこちら
https://youtu.be/tudSD6RSip


