2013年4月26日 (金)

the very voice of silence

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ずっと長い間、音楽といい加減につきあってきた自分にとって
音楽と真摯に向き合っている黒田さんは眩しい存在であり
いつもすごいなあ、すばらしいなあと思ってきた

その気持ちはこのアルバムを聴いた今も変わらないし
自分に厳しく奏でられるひとつひとつの音が
彼女のものすごさを語っている


黒田さんにとって音楽とは
どんな存在なのか
生きている証、自分、そのものなんだろうか

めんどくさいとか、いい加減でいいやとか
そんなことを考えて弾いちゃったことはないんだろうか


もしかしたらあったのかもしれない

あんなこともそんなことも
すべてが自分であり、それが音楽だとしたら
それが黒田京子の世界なんだ
そう教えてくれたアルバムなんだと思う



途中でふっと流れた涙を
だめ、shezooちゃん、泣いたらだめ
そう諌められてアルバムは終わるんだけど
聴き終わった後に、なんともいえない嬉しい気持ちになる






追記:
「このアルバムは、私がピアノの無垢な響きを精一杯作り、音楽家・黒田京子が音を紡いだ記録である。」
黒田さんの活動に随所で携わってきた調律の辻さんは
ライナーノーツに、こう綴っている

音楽は決して夢の世界を演出するだけのものではなくて
人と人との思いを描くドキュメントであり
まさしく記録なんだ

あー黒田京子はやっぱりすごい








                   黒田京子 『沈黙の声 the very voice of silence』
                  

2013年1月28日 (月)

「divination」

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幾度となく「それ」について聞かされたとしても、この目で確かめなくては実際の姿を把握することはできない。姿は網膜を通して脳に記憶として焼き付けられる。


何度も「それ」を目にしていたはず。なのに誰かの口から声として発せられた「それ」が鼓膜を通して胸に到達したとき、人ははじめて「それ」の意味を知る。「それ」が「ことば」となった時、耳と目の立場は初めて逆転する。


読めそうで読めない、手が届きそうで届かない、幾層ものガラスに書かれた無数の「ことば」は、口に出したくても出せずにいるもどかしさと重なった。




もし、この中でたったひとつでも読みとることのできることばを見つけたらどうしよう。
幸か不幸か、そのメガネをまだ持っていない。

                      

                            In response to 「divination」 byMakoto Miura


2008年8月 4日 (月)

鳥のカタログ

うちの近所に生息する鳥は、とにかく歌がうまい。

仕事が一段落する頃、ウグイスたちのセッションに始まり、さまざまな声が加わっていく。じっと耳を傾けていると、やがて空は白んでゆく。


テスト


いったい何種類いるのだろう。あの鳴き方は、何という名前の鳥なのか。


そんな事を考えながら、今年の春頃から鳴き声のスケッチを始めた。
まだ20個足らずだけれど、少しずつ増えている。


ピアノは、楽器のカテゴリーとしてはパーカッションであって、その中でも実音のリリースは短く、木管や弦楽器のように本物の鳥の声を表現をすることは極めて難しい。

それでもピアノでフレーズを弾いてみる。いつかもっと、鳥に近づけるように。

2008年7月17日 (木)

浦河漁港

浦河漁港
昼食後、再び釧路へ。

うみねこがにゃあにゃあ鳴いています。

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