2011年11月13日 (日)

聴くこととか見ることとか

Gaudi

時代の流れに惑わされず、残り続ける音楽は、普遍的に良い音楽なのだろうな。
たとえばジャズのスタンダード、民謡やフォークソング、そしてクラシックの作品とか。
これらは楽曲のバランスの良さと完成度の高さから、映画やCMでもしばしば使われて来たのは誰もが知る所だ。

そんな名曲の数々を選曲して、センスがあると評価のあるのがソフトバンク白戸家の一連のCMだ。
チャイコフスキーに始まりドビュッシー、B・クロスビーの「Let It Snow! 」、エディット・ピアフと、ここにきて当初のクラシック路線から離れていわゆる名曲にシフトして来ていたから、次は何が出るのかと期待していた。


新シリーズ「スベテノヒトニアイヲ」
前半は音楽がない。
終わりの方になって、遠くから誰かがやってくるかのような、あのわくわくするイントロが聞こえてくる。

ああ、白戸家はここに行き着いたんだ。
それはCMに携わる人が一度は気になり、そして多くのミュージシャンに影響を与えたであろう曲、30年ほど前にサントリーローヤル ガウディ編で使われたマーク・ゴールデンバーグの「剣と女王」

この曲はゴールデンバーグのアルバム「鞄を持った男」の中に収録されている。
アルバムは、今でこそアマゾンでも普通に購入できるけれど、配信もなかった頃は中古ですらなかなか手に入れることができなかった。
それでもなんとか手に入れて、嬉しくてさっそく聴いた。
この一連のCMに使われた曲が3曲も入っている。
何ともいえない、収まらない感覚がすばらしい。
繰り返して聴いた。

でも違う。何かが違う。
あのCMで聴いた時に受けた、あの感覚にはほど遠い。
確かにマルチでたった一人で録音したものだから、当時の楽器のポテンシャルを考えれば寂しいのは当然と言えば当然のことなのだけれど、そういうことではない気がした。

その後、ことあるごとにYouTubeでCMを見た。
あのわくわくは何度見てもやって来てくれる。
そしてやっとわかったこと。
私はこの曲を目と耳で聴いていたんだ。
あの強烈な映像とランボーへのフレーズが読まれる中で流れる音楽こそが、この曲のイメージだったに違いない。

基本的には、どんな映画や映像で使われていた音楽でもできるだけ切り離して考えるようにしていたつもりだし、一定の曲をヘビーローテーションで聴くことはないから、過去の自分と記憶がリンクすることはないと信じていた。
それでも白戸家のCMでは、イントロが流れてくる度にTVに目がいってしまう。
でもそこには当たり前のように、ランボーはいない。
良い音楽をも完全に取り込んでしまうほど強烈なインパクトが、あのCMにはあったのだ。
私の音楽に対する聴き方など、木っ端みじんに吹き飛んだ。

人は耳で音楽を聴いていると確信している。
物理的には耳から入ってくるのは間違いない事実だから。
でも、脳は鈍感なんだろう。
目と耳と、またある時は肌で受けた感覚を、あっという間に他の感覚と錯覚して、あたかもそれが当然だったかのように記憶していく。


いくら耳で聴いてもらうことを前提に音楽を送り出していても、どこで受け取るかは受け手の自由であるという特権こそ、送り手としては何よりも大切にしなければいけないのかもしれない。


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