2015年8月 7日 (金)

トリニテJapanツアー2015『月の歴史 Moons』part1

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8月22日から中野、柏、名古屋、大阪、神戸でのツアーpart1が始まります。

すべての場所でご予約を受けつけております。

みなさまにお目にかかるのを楽しみにしています。

どうぞよろしくお願い致します。


中野

日時:8月22日(土)19:00開場 20:00開演  

場所:Sweet Rain

   東京都中野区中野5-46-5 岡田ビルB1

料金:¥2,500

問合:03-6454-0817 http://jazzsweetrain.com/


日時:9月5日(土)18:30開場 19:30開演

場所:スタジオWUU 

          柏市柏1-5-20プールドゥビル5F

料金:予約 ¥3,000 / 当日 ¥3,500

問合:047-164-9651 http://www.wuu.co.jp/

 

名古屋

日時:9月11日(金)18:30開場 19:00開演

場所:5/R HALL&Gallery音楽ホール

          名古屋市千種区今池1-3-4 

料金:前売 ¥3,000 / 当日¥3,500

問合:052-734-3461  www.five-r.jp

 

大阪

日時:9月12日(土)19:00開場 19:30開演  

場所:ソープオペラクラシックス

          大阪市中央区西心斎橋1-6-8 トムズハウス4階

料金:予約 ¥3,000 / 当日¥3,500 (別途1Drink+1Food¥1,100)

問合:06-6121-6688 http://www.toms-soc.jp/

 

神戸

日時:9月13日(日)14:00開場 14:30開演

場所:クレオール 

          神戸市中央区山 本通2-3-12

料金:予約 ¥3,000 / 当日¥3,500

問合:http://creole-live.net

 

横浜

日時:10月16日(金)18:00開場 19:00開演

場所:Jazzspotドルフィー 

   横浜市中区宮川町2-17-4 第一西村ビル2F

料金:予約 ¥3,000 / 当日¥4,000

問合:045-261-4542  http://www.dolphy-jazzspot.com/ 

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2015年7月 9日 (木)

月の歴史が教えてくれたこと

『月の歴史 Moons』は、引き合う月と地球の関係をメタファーにして、誰かと誰かとの関わり方を見守るアルバムです。その「誰か」は、家族でも、恋人でも、友人でも、見ず知らずの人でもかまいません。「月」はあなた自身、わたし自身であり、「歴史」は生きている日々の記憶です。

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懐かしいのに刺激的なメロディー
人のなせる域を超えたヴァイオリン
どこまでも深く心に響くクラリネット
そこで間を奏でるパーカッション

それがトリニテの色彩であると、月の歴史は教えてくれた。

2015年6月17日 (水)

トリニテ2ndアルバム『月の歴史 Moons』

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『月の歴史 Moons』2015年7月30日リリース

 7月10日トリニテジャパンツアー2015東京公演@ティアラこうとうで先行販売


『月の歴史 Moons』

1、Prologue

2、White Moon

3、Dream Catcher

4、Dies Irae 怒りの日

5、Luna

6、Grunion Dance

7、Moons ふたつの月

8、Mother


Trinite

shezoo(piano)

壷井彰久/TSUBOY Akihisa(Violin)

小森慶子/ KOMORI Keiko(Clarinet,Bass Clarinet)

小林武文/ KOBAYASHI Takefumi(Percussion)



『月の歴史 Moons』は、引き合う月と地球の関係をメタファーにして、誰かと誰かとの関わり方を見守るアルバムです。その「誰か」は、家族でも、恋人でも、友人でも、見ず知らずの人でもかまいません。「月」はあなた自身、わたし自身であり、「歴史」は生きている日々の記憶です。

 

2015年5月15日 (金)

Trinite Japan Tour 2015 ―「月の歴史」CD発売記念― トリニテ・ジャパン・ツアー2015 東京公演

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Trinite Japan Tour 2015 ―「月の歴史」CD発売記念―
トリニテ・ジャパン・ツアー2015 東京公演


ジャズでもクラシックでも民族音楽でもない、ジャンルの壁を超越したアコースティック・カルテット、トリニテ。
過去と未来が錯綜するトリニテのステージは、あなたの知らない世界を垣間見せてくれるに違いない。


Trinite トリニテ
shezoo シズ(piano /compose)
壷井彰久(violin)
小森慶子(clarinet)
小林武文(percussion)

日時:2015年7月10日(金) 18:30開場 19:00開演
場所:ティアこうとう小ホール http://www.kcf.or.jp/tiara/index.htm
   都営地下鉄新宿線・東京メトロ半蔵門線「住吉駅」から徒歩4分。
料金:4,000円(税込、全席指定席)※未就学児の入場不可


主催:岩神六平事務所
共催:公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 ティアラこうとう
チケット販売中!
岩神六平事務所チケットオーダーフォーム http://roppei.jp/
ティアラこうとうチケットサービス 03-5624-3333
e+ http://eplus.jp/

お問合せは 岩神六平事務所046−876−0712(留守電対応)


flyer designed by 高良 真剣
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2015年4月26日 (日)

『横浜なんでも音楽祭〈春〉』夜の子供の音楽

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夜に相応しい音楽ではなく、 夜に内在する音楽を探し求めて

今回は初参加の立岩潤三さんに加えて、tomocaさんがゲストで参加!
贅沢な夜のこどもの世界をお届けします。

日時:5月5日(火祝)19:00open 19:30start
場所:横浜エアジン tel 045-641-9191 http://yokohama-airegin.com/contact.html
料金:予約 2,500 当日 3,000 学生(U23)1,500 
        高校生1,000  中学以下無料(+Drink)

出演:加藤里志(sax)立岩潤三(perc)shezoo(piano)
ゲスト:tomoca(oboe)

2014年11月17日 (月)

永遠はないということ

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色々なことがあって
色々なことがあって

やっぱり「日常」が永遠ではないこと
やっぱり「日常」は永遠ではないのだ

側にいるはずの音楽も
自分から繰り出る音楽も
ものすごく湾曲した日

でもブーメランみたいに戻って来た音楽は
一人歩きしていた

2014年10月12日 (日)

21041013 夜の音楽『横浜国際なんでも音楽祭2014<秋> 』

-夜に相応しい音楽ではなく、夜に内在する音楽を探し求めて-

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陽の当たる朝が“生”のイメージであるならば、暗闇を抱える夜は“死”の象徴なのだろうか。
夜、その暗闇の中は、生と死を行き来するエネルギーのふきだまり。
シニフィアン・シニフィエ@エアジンの演奏で魅了したsaxの加藤里志さんと、今回は夜に在るほんの少しの光を集めたプログラムで夜の音楽をお届けします。
連休最後の夜、妖しくて美しい夜へ。
夜の音楽『横浜国際なんでも音楽祭2014<秋> 』
日時:10月13日(月祭)7:30pm開演
出演: shezoo(piano) & 加藤里志(sax)
料金: 前¥2500 当日¥3000 学生¥1500
曲目:シューベルト/冬の旅    
   ピアソラ/アヴェ:マリア    
   フォーレ/エレジー    
   ワイル/ユーカリ 他

2014年10月 1日 (水)

お知らせ

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昨年からプロデュースを担当したクラシック・アカペラのアウラは、この10月から育ての親であるトエラ・岸さんのもとに戻ることになりました。
私はいちアレンジャーとしてアウラをサポートを致します。
ヴォイスオーケストラとしての魅力に益々磨きをかけたアウラを今後ともよろしくお願い致します!

2014年9月28日 (日)

20141005シニフィアン・シニフィエライブ@横浜エアジン -フリーすぎる現代音楽の危険な匂い-

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シニフィアン・シニフィエ

-フリーすぎる現代音楽の危険な匂い-

シニフィアンとは
哲学用語で、意味しているもののこと。
楽譜がシニフィアンであるとしたら、そこに意味されてい

る音楽とは。 シニフィアンとして楽譜に書かれた音符を再現しながら、

その曲をもっと自由に羽ばたかせるシニフィエへ。

メンバー全員が常に作曲をしながら現代音楽を演奏する、
それがシニフィアン・シニフィエのかたち。

今回はsaxの加藤里志が初参加!

shezoo (pf)、壷井彰久(vl)、土井徳浩(cl)、加藤里志(sax)、水谷浩章(bass) 、ユカポン(perc)
日時:10月5日(日)15:30open 16:00start
場所:横浜エアジン http://yokohama-airegin.com/http://yokohama-airegin.com/
横浜市中区住吉町5−60 tel.045-641-9191
料金:予約¥2500、当日¥3000、学生(U23)¥1500、高校生¥1000、中学以下無料 +drink
予約・お問合せ:http://yokohama-airegin.com/contact.html


現代音楽なんて聴くと、ちょっとと腰がひけてしまう…。
でも気づかないまま、普段耳にしている曲の中に、意外とまぎれているものも少なくありません。

「2001年宇宙の旅」、「ピアノレッスン」、映画の中では数多くの現代音楽がサントラとして使われています。

こわくなければお化け屋敷ではない。
こわくてもホラー映画を見たくなることもあるはず。
こわいといわれる現代音楽は、残念ながらそこまではこわくないかも。
でもあえて、こわくないとは明言しません。

懐かしいあの曲ではないけれど、そこには現代に生きるわたしたちに様々な映像を見せてくれる。
そしていろいろなことを静かに思い起こさせてくれる音楽がきっとあります。

それを確かめにいきましょう。
わたしたちは、そんな作品を、さらに普段使いで演奏してあなたの側にお届けします。

2014年8月13日 (水)

「25次元空間の入り口で考える猫たち」映像がアップされました

ライブ映像がアップされました。


「25次元空間の入り口で考える猫たち」
”at the entrance to the 25-dimenshon, the cats to think"


荒井皆子/ARAI Minako(Voice & percussion), Shezoo(piano) 
2014/07/26 @『 inF』(インエフ

2014年8月10日 (日)

20140903「25次元空間の入り口で考える猫たち」荒井皆子(Voice)・Shezoo(piano) DUOライブ

「25次元空間の入り口で考える猫たち」

荒井皆子(Voice)・Shezoo(piano) DUOライブ

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「25次元空間の入り口で考える猫たち」シリーズ第2回。

あらゆるジャンルを飛び越え、色彩と映像の見える音楽、細胞と心に浸透する音楽を追究する「インストゥルメンタルメガ・ピクセル・ヴォイス・プレーヤー」荒井皆子と さまざまなジャンルを超えて活動する作編曲家・ピアニスト、shezooシズとのデュオ。

他では決して味わえない密度の濃い空間を、ぜひ体感しにいらしてください!

【日時】9月3日(水)20:00-

【場所】大泉学園・インエフ 西武池袋線「大泉学園」北口徒歩5分

【問合】03-3925-6967

【料金】2,500円(+オーダー)

~~~ 前回ライブアンケートより ~~~

聴いてくださった皆さん、どうもありがとうございました。

「聴いていて異次元に連れて行かれるような不思議な感覚。皆子さんのオリジナル「夢見の時」は、何かの映画のサントラを聴いているような感じでした!!何かすごかった。言葉で表せない。ピアノもすごいけど、人の声もまたすごい。ただただ凄かった。」(O.Yさん 女性)

「人間の声がこんなに深く五感に訴える物であることを、初めて感じました。ピアノ素晴らしかったです。」(Y.Yさん 女性)

「音の幅の深さ、場数を踏んだアドリブ、どれも驚く事ばかりでした!小楽器のパーカッシヨンがまた面白かったです。ピアノの迫力がすごく技術の高さを感じました。」(U.Yさん 女性)

「2ステージ目からでしたが、とても充実した時間を過ごせました。in F 居心地良くて好きです。」(N.Aさん 女性)

「自然体のハイテクニックを堪能できた。けれんみ無く繰り出される音楽は恐ろしく複雑で、すっきりと耳へ滑り込む。予想以上にインプロ要素たっぷりのライブだった。もっとかっちりした譜面もののライブかと思ってたら、意外な展開だった。そうとうにアバンギャルドで美しさ満載。二人のアイデアで充実したライブだった。また聴いてみたいな。」(Tさん 男性)

2014年8月 2日 (土)

20140808トリニテ・ライブ@公園通りクラシックス -そこからは架空世界の音楽が立ち現れる-

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今回はまだタイトルを決められずにいる4つめの組曲への新曲、『月の歴史』からLunaをリアレンジしてお届けします。
新メンバー2回目のライブ。トリニテはどこに向かっているのでしょうか。

アコースティック•クァルテット、トリニテ。
19世紀的黄泉の濃厚な香りに包まれた端正かつメランコリックな楽曲は、同時に南米的破調と熱狂、あるいは近未来の退廃的な世界を孕みながら、アントニオ・ガウディの建築物のように、その表情を未完のまま刻々とドラマティックに変化させていく。


出演:Trinite  shezoo(pf)、壷井彰久(vl)、小森慶子(cl)、小林武文(per)
日時:8/8(金) 19:00open 19:30start
場所:公園通りクラシックス
東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F
料金:前売¥3500、当日¥4000、学生¥2000
問合:info@trinite.me



2014年7月10日 (木)

「25次元空間の入り口で考える猫たち」荒井皆子(Voice)・Shezoo(piano) DUOライブ

「25次元空間の入り口で考える猫たち」

荒井皆子(Voice)・Shezoo(piano) DUOライブ

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日時:7月26日(土)20:00-
場所:大泉学園・インエフ http://in-f.cocolog-nifty.com/
   西武池袋線「大泉学園」北口徒歩5分
   03-3925-6967
charge:2,500円(+オーダー)

あらゆるジャンルを飛び越え、色彩と映像の見える音楽、細胞と心に浸透する音楽を追及する「インステゥルメンタルメガ・ピクセル・ヴォイス・プレーヤー」荒井皆子さんとのデュオ。
間違いなく他では絶対に聴くことのできない濃いライブ!

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■荒井皆子(Voice)
あらゆるジャンルを飛び越え、One and Only の道をひた走る「インステゥルメンタル・メガ・ピクセル・ヴォイス・プレイヤー」。
常にミュージシャンと対等な位置でのインプロヴァイズを展開。全国のJAZZフェスティバル、コンサート、ライヴハウス(新宿ピットイン、横浜エアジン等)で演奏活動を行っている。'93年プロ対象のコンテスト横濱JAZZプロムナード・コンペティションで第1回『グランプリ』受賞。佐藤允彦プロデュース「BOb&JOlt」/BO-JO、セルフプロデュースによる「chondrule」/BO-JOをはじめ、4枚のアルバムをリリース。TVKテレビドキュメンタリー番組でフューチャーされた他、多くの音楽誌で高い評価を受けている。数多くの国内外のミュージシャンと共演。'09年New Yorkの音楽家支援財団、OMIアート・インターナショナルの召喚により、NYで2回のコンサートを行い、好評を得る。現在は<コンテンポラリー・neo・ジャパネスク>の他、リーダーバンド<絵夢茶FANTASY>等で活動。作、編曲も担当。JAZZ、ROCK、ワールドミュージック、即興、クラシック、現代音楽と、ボーダレスな独自のスタイルで、色彩と映像の見える音楽、細胞とこころに浸透する音楽を追及し続けている。http://homepage2.nifty.com/arai-m/

2013年9月18日 (水)

TOKYO FM 9月29日/物語の始まり~Triniteのprayer 田中美登里さんの番組「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」MUSICBIRDでいっぱい話してきました

この番組に出演するのは20年ぶり。その間にいいことも悪いことも、あんなこともこんなこともありましたね、なんて田中さんと。
生きているといいことがあるって実感したひとときでした。

TriniteのCD「prayer」をはじめ、初公開シニフィアン・シニフィエのライブ、シズ編曲によるクラシックアカペラ・アウラが歌う庭の千草(with SLAVA)などをお届けします。土曜の深夜というか、日曜の早朝というか、微妙な時間にぜひ。


9月29日/物語の始まり~Triniteのprayer ゲスト:shezoo
 29日は作曲家にしてピアニストのshezooを迎えて。16歳でミュンヘンに音楽留学し、ピアノ、作曲などを学んだshezoo。ミュンヘンでは毎日のように歌劇場に通い、オペラ漬けの日々を送っていたそう。7年間のミュンヘン生活で、音楽とことばの結びつきが彼女の中で醸成されたのか。彼女の紡ぎだす音楽には物語が溢れています。この夏はリーダーを務めるグループTriniteのファースト・アルバム「prayer」を引っ提げてのツァーを展開し、今は11月からの北海道及び東京でのコンサートに備える日々。ヨーロッパの街の古き石畳や影の部分を感じさせる音楽、そして音楽の中で「祈り」の意味を問い続ける音楽姿勢を語ります。現代音楽をカヴァーするライヴ「シニフィアン・シニフィエ」やバッハの大曲「マタイ受難曲」を普通の手が歌うなどユニークなプロジェクトもご紹介します。

9月28日(土)28:30~29:00 =9月29日(日)4:30~5:00
 TOKYO FM & radiko.jp(インターネット首都圏限定)
9月28日(土)28:00~28:30 =9月29日(日)4:00~4:30
  K-MIX(FM静岡)
9月29日(日) 9:00~10:00 MUSICBIRD Cross Culture
9月30日(月)23:00~24:00 MUSICBIRD Cross Culture

MUSICBIRDはTOKYO FMグループの高音質CS衛星デジタルラジオ。
クラシック、ジャズなどジャンル別に多数のチャンネルがあり、   
これを聴くには専用のチューナーとアンテナが必要。
お問合せは03-3221-9000 http://www.musicbird.jp/

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2013年9月 3日 (火)

卑近であるということ

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否定をされることが、自分のすべてではなくて、それも糸口に建設的に上昇するべきなんだよ。

でも、作曲をする人間にとって、音楽を否定されることは、全面的な自己否定に限りなく近い。

20代の時に言われた『あなたの音楽はだめな音楽』を自分はどうも引きずっているらしい。

どうしてそんなに卑屈なのと聴かれても、ダメな音楽をやっている以上、基本は提供した音楽を演奏して頂く、というすこし離れた関係性でプレイヤーと関わって来た気がする。

それでも音楽が限られた人間だけのものではないと信じて、シニフィアン・シニフィエやマタイのプロジェクトを立ち上げた矢先、ライブという同じ立ち位置にたっていながらも、いつも不安だったわたしに答えを出してくれた人がいる。





              シズさんの音楽が、結果的にステージ上と客席に明らかな
              ヒエラルキーを感じてしまったのは私だけでしょうか。






ありがとう。
そして、さよならわたし。さよなら。   

2013年7月28日 (日)

shezoo unit マタイ受難曲@横濱エアジンに来てくださった方に

復活祭が近づくと毎年必ずヴィース教会へ行ってマタイを聴く。何時間かかろうが、どれほど重きを持った作品であろうが、10代後半をミュンヘンで過ごした私にとってマタイの存在は、ごく当たり前のものでした。

あのとき木造の教会に差し込む光の中で聴いた胸の奥深くに響く音を、限られた人たちだけが独り占めしてよいのか。なんとか、今、自分のまわりにいる人たちと共有できないものか。

シニフィアン・シニフィエが、自分が聴きたかった音を聴きたくて作ったバンドであったように、このマタイ受難曲プロジェクトもまた、そんな恣意的願望から始めたものです。わがままに付き合ってくれた今回のメンバー、場所を提供し協力をしてくださったエアジンとうめもとさん、そしてこのライブのために時間を作ってくださったみなさんに心から感謝します。

 

 


実際にライブをするにあたって作品と向き合ううちに、様々な思いと考察が入り交じり、エヴァンゲリストに伝えてほしい言葉として文章を渡しました。

20130727マタイ@エアジン エヴァンゲリストへのふたつの手紙」

シモーヌ・ヴェイユ「時間への恐怖」から

時間は人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という感覚をもたらす源泉である。
厳密にいえば、時間は存在しない(限定としての現在はともかく)。にもかかわらず、私たちはこの時間に隷属する。これが人間の条件である。

(ヴェイユは自己否定としての神を語る。キリストの受難もそのように捉えられている。神から最も離れており、神に立ち戻るのは絶対に不可能なほどの地点にある人のもとに、神が人としてやってきて十字架にかかったということは神の自己否定であるという。)

 

ジョージ・オーウェル「1984」から

時は我々が何もしなくても流れていく。

ただじっとしていても、鼓動と血脈があるよう

ただ生きている。

空をみて、雲は早くも遅くも常に

形を変えて彼方へと消えていく。

何一つ、誰一人、

同じ場所(ところ)で、

同じ思いであるということは不可能だろう。

我々は目の前に写しだされた像を見ては

(無垢なき)観念  を見いだす。

それは外から染められた

しかし内に秘めた 姿なき像である。

それは見えているのだが、

見えていないということと同じかもしれない。

見えないということは

見えているということに等しいかもしれない。

永遠ということは悲観的概念であり、

すべては永遠ではない  ことで永遠を渇望する。

それに気づくのか、気がつかないか

過去を支配するものは 未来をも支配し

今を支配するものは 過去をも支配する

 

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そして 

山崎阿弥による朗読 「滝口修造の死」武満徹 



現時点においては昨日の形であり、音楽的なことも含めて、それがどのように変化するのかは自分でもわかりません。いつの日か、全曲を演奏できる瞬間に向けて作品と静かに対話を続けたいと思います。

その時にはまた、一緒に立ち会ってくださいますことを祈っています。

shezoo

 

 

2013年7月20日 (土)

手に入れたもの

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わたしにとってのトリニテは
当初自分のやりたい作品発表の場だった

それが歳月を経て
現在のメンバーになって4年目の今年
もはやただの音楽ユニットではくくれない
もっと大きな存在になった

誰かと一緒に音楽を作るということの意味を
何十年も音楽をやってきて
理解はしていたはずではあっても
間違いなくはじめて感じながら演奏することを経験している

音楽は決して理屈で善し悪しが決まるものではない
好き嫌いとか、懐かしいからとか
そんなこととは関係なく心に響く音楽の存在
予測はできなくても理由がかならずあることを教えられたんだ

生きていく上にまつわるさまざまなこと
嬉しいこと、悲しいこと
こわいものなしのとき、うまくいかないとき
たくさんのことが
ちっぽけな自分の周りを渦のように流れてゆく

油で真っ黒に染まった湾岸戦争の海を渡る鳥に
ゆっくりと津波に呑み込まれていく大槌町の町並みに
頭の中では砂漠の狐が、DiesIraeが鳴っていた


体制に対してたった1票の紙しか与えられていないならば
声をあげられない残りのエネルギーを音に託したい
楽譜に込められた思いはプレイヤーの演奏を通して
何倍にも増幅されて聴く人のもとへ届けられる
そしていつしか、それを人任せにしていた


京都での出来事は感動したからでも感極まってのことでもない
それは、自分が書いたメロディーをどんな状況でも大切に
本当に大切に演奏しているメンバーに対して
何もできていない自分のふがいなさへの自責の念から

もう遅すぎるかもしれない
でもせめて、これから先は一緒に歌っていくことに決めた
あと何回ライブができるのだろう
だれにもわからないことだけれど
自分にできることを全部する
そんな当たり前のことに気づいた



今回のツアーでわたしは
大切なものをたくさん手に入れて
大切なものをひとつ失った
 

2013年7月19日 (金)

5Days『ライブハウスのJ.S.バッハ』 Shezooシズ(pf) unit {マタイ受難曲}@横浜エアジン

普通の人による普通の人のためのバッハマタイ受難曲をやってみる日。




注意)このライブはマタイ受難曲をそのままやるわけではありません。


もし全曲を原曲のまま聴きたいという方にはごめんなさい。これは違います。

普通の歌手が歌うアリアを中心に、マタイの中で語られるテーマをクローズアップしながら、

マタイ受難曲とは何であるかを知ってもらうライブです。


いずれ訪れる全貌へ向けて、今後展開していく様々な切り口からマタイを知るコンテンツへの最初の一歩と位置づけています。

 



5Days『ライブハウスのJ.S.バッハ』@エアジン

2013年7月27(土)  Shezooシズ(pf) unit 普通の歌手による普通の人のためのマタイ受難曲


[編曲、訳・脚本、ピアノ、synth]shezoo

[エヴァンゲリスト]山崎阿弥

[歌手]Coco(Die Milch)/ CHINO/ 松岡恭子 / 輿 美咲

[ソリスト]flute:中瀬香寿子 / violin:Jasmine(DieMilch)

横浜エアジンwww.yokohama-airegin.com  tel.045-641-9191

open19:00live19:30   charge¥2500+drink(¥500)

U23¥1500+D 高¥1000+D 中学生以下ペットも無料(Drikn代¥500のみ)

2013年7月 1日 (月)

シニフィアン・シニフィエのライブ@インエフに来てくださった方へ

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ずっと聴きたかったものが音となって立ち上がってゆく瞬間に出会えたたことは、この妖しげなライブに場所を提供し応援してくださったインエフの佐藤さん、めちゃくちゃなこと満載の楽譜と要求にも関わらずすばらしい閃きと演奏で応じてくれたメンバー、そして海のものとも山のものともわからない、もしかしたらパンかもしれないといううわさまで飛び交ったシニフィアン・シニフィエのライブに、勇気を持って踏み込んで下さったみなさんのお陰です。本当にありがとうございます。

コンセプトは「現代音楽のカバーをするライブ」ですが、それはたぶん自分が聴きたかったものであり、聴きたくても存在しないからやってしまえという乱暴な発想がきっかけでした。これっきりになるだろうという覚悟で臨んだものの、頂いた拍手が続けてもいいよというふうに都合良く聞こえたり、終わった瞬間から次にやりたいことが堰をきったようにだーっと溢れてきたりして、脳内ではすでに次回の準備がはじまっています。

それがいつになるのかはまったく未定ですが、その時にはまた、シニフィアン・シニフィエの音楽が生まれる現場に一緒に立ち会ってくださいますことを祈っています。

2013年6月26日 (水)

音楽が博奕だということを理解してもらうために

来月、トリニテはツアーに出発する。

今回の移動は、全員車1台に同乗する。これは困った。私は他人とある一定の時間以上一緒にいることがものすごく苦手だ。しかも車という狭い空間の中というおまけつき。

さてどうしよう。




そんな時、神戸公演のことでネットを検索していたら、偶然以前に書いた自分のブログにたどり着いた。

2011年11月25日 (金) BrilliantNoiseライブ そして砂女


そう、これはビエンナーレ神戸のコンペの一環で展示されていたゼロバイゼロのインスタレーション作品、ブリリアントノイズの中で強行したライブの直後に書いたもの。
今思えば、いいと思うこと、伝えたいと思うことはなにがなんでもやるという、今日の行動パターンの原点となった出来事だった。誰からも頼まれず、期待もされず、ギャラも交通費も出されず、特別な理由もみつけられないまま、何かに突き動かされるように神戸に向かい、ブリリアントノイズのもとで、たまたまそこを訪れた人たちと暗闇の中、時間と空間を共有した。

そして音楽を糸電話にして話をしたんだと思う。




あれから一年半がたった。
あの時なぜインスタレーション作品の中で音楽を演奏をすることに惹き付けられたのだろう。


wikipediaによれば、インスタレーションとは「場所や空間全体を作品として体験させる芸術」とある。
そう、ライブへ足を運ぶ、音楽を聴きにいくという行為は、好きな時間にたったひとりで好きな音楽を楽しむのではない。あえていやな思いをするかもしれない場所や空間へ出かけていって、外れるかもしれない音楽を聴きにいくということなんだ。

そこには知らない人の目があって、見なれない椅子と親切ではない空気、グラスの触れる音や誰かの話し声も聞こえる。インスタレーション作品の作家が空間を体験することで何かを問いかけ、考えることを促すように、ライブをすること、それ自体がその場に居合わせた人たちと共に体験するインスタレーションであり、その空間こそが音楽を送り出す側と受け手が相互に語りあえる対話の場なのだ。



自分が感動したこと、悲しいこと、嬉しいこと、いや、もっと小さなきっかけでもなんでもいい。

思いを伝えるために作曲をする。

一方的にどなっても、誰にも聞こえないように口ごもっても、伝わりはしない。伝えるためには対話をしなければならないのだ。



ずいぶん長い間音楽に携わって来たつもりでも、ライブという場での演奏を怠けて来た自分が、なぜ作曲して録音するだけではだめなのか、なぜ聴く人たちのいる場所で演奏をしなければいけないのか、この出来事は、その答えを教えてくれた。

そして今日。この動画と出会う。

それから自分のページにシェアした。

「普段から、音楽は時間に支配されている表現方法であるということを感じているけれど、音楽は対話であり、対話こそ時間をかけるものである、だからこそここに音楽があって、時間をかけてこそ意味があるということ。」

 

人が苦手で自分を嫌いな人間が、人と対話を試みる。
ずっとやってこなかったんだから、最初からうまくいくはずもない。
試行錯誤を繰り返して、少しずつ対話ができるようになりますように。





                                 トリニテJapanツアー2013

2013年6月24日 (月)

写真がうつしだすもの

シニフィアン・シニフィエ4/29@インエフのフライヤーは、トリニテ5/10@新世界と同じく
写真家の坂中雄紀さんの作品をもとにデザインされた。

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写真も、書く文章も、考え方もとてもすてきな人。
そしてとてもやわらかな人。



はじめてあったときの言葉は
何もないところ いいです
だった。


最初は気づかなかったけれど
彼はわたしのブログのことを言っていた。


そう言われて
改めて読み返す。


 

人に与えられた何かを確かめに行くのではなく、自分が行きたいところで時間を過ごす。

何もなくていい。何もないところで、もし自分が何か見つけたとしたならば、それはそれで嬉しかったりする。たとえ見つからなくても、何もなくても、そこで過ごした時間は自分の中に残る。

何もないところ





そして彼の作品を見て
その言葉がなにを意味していたのか
少しわかったような

写真がうつしだすもの。






坂中雄紀 http://sakanaka-yuki.tumblr.com/

2013年6月23日 (日)

20130629シニフィアン・シニフィエ@インエフ

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現代音楽なんて聴くと、ちょっとと腰がひけてしまう…。
でも気づかないまま、普段耳にしている曲の中に、意外とまぎれているものも少なくありません。

「2001年宇宙の旅」、「ピアノレッスン」、
映画の中では数多くの現代音楽がサントラとして使われています。

こわくなければお化け屋敷ではない。
こわくてもホラー映画を見たくなることもあるはず。
こわいといわれる現代音楽は、残念ながらそこまではこわくないかも。
でもあえて、こわくないとは明言しません。

懐かしいあの曲ではないけれど、そこには現代に生きるわたしたちに様々な映像を見せてくれる。
そしていろいろなことを静かに思い起こさせてくれる音楽がきっとあります。

それを確かめにいきましょう。
わたしたちは、そんな作品を、さらに普段使いで演奏してあなたの側にお届けします。

シニフィアン・シニフィエ~現代音楽をカバーするライブ

6/29(土) LIVE・シニフィアン・シニフィエ
shezoo(piano)、壷井彰久(violin)、小森慶子(clarinet)、大石俊太郎(sax,fl)、水谷浩章(bass)
大泉学園・インエフ 03-3925-6967 
20時開演
charge: 3,000円(+オーダー)






                                photo:坂中雄紀

2013年6月 2日 (日)

ひまとたいくつは違う

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音楽が時間に支配されている以上、音楽を聴いてもらうということは、その人の時間をもらうということである。

人生は有限のものであるから、その中の大切な一部を見ず知らずの私のために切り取って下さい、と言えるのか。
音楽は心を豊かにするから、なくてはならないものだから、痛みをいやしてくれるものだから、好きだから、そんな面倒なことを考えること自体が無意味であるし、そんなことを考えているような音楽ならよけい聴きたくなくなると言われる。
でもそんな特効薬のような存在の音楽は、その人にとっての薬となるのであって、ひとたび自分には合わない薬を飲まされたとしたならば、どうなるのか。逆効果になって、毒と化してはしまわないのか。
だからといって、自分を否定して自分に反する音楽を作ることなんて、もっと意味がない。

多様化した現代において、誰もが音楽を発信する権利を有し、行われるライブの数は半端でない。プロと言われる人の音楽がすぐれているわけでも、優れている音楽がいい音楽でも、いい音楽が自分が必要としている音楽でもないとしたならば、わたしはいったいどう音楽と向き合っていけばいいのか。
そんなにマーケットの大きな音楽じゃないんだから、やれるときにやって、聴きたい人が聴きにくればいいじゃない、という意見はもっともだし、それ以上考えることも語ることも所詮大海に一石を投じるだけにすぎない。そんなことはよくわかっている。

音楽は博打だ。最後の最後まで、つまり聴き終えるまでは天国か地獄かわからない。
博打なんだから外れても仕方がないと割り切っているならば、ジャケ買いして外れても、付き合いでいくライブで自分にはつまらない音楽を聴かされて無駄に時間を費やしたところで文句はいうまい。
そして商品のパッケージを全部開けて中身を確かめることはできないのだから、まだふたの開いていない商品の中に、自分が求めている音楽があったとしても。そのふたを開けることのできないまま、一生を終える。
そんなことだけでいいのか。もっと何かできないのか。


シモーヌ・ヴェイユ「時間への恐怖」から
時間は人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という感覚をもたらす源泉である。
厳密にいえば、時間は存在しない(限定としての現在はともかく)。にもかかわらず、私たちはこの時間に隷属する。これが人間の条件である。


その時間に従属する音楽は人を幸せにし、さらにその音楽に従属する私は時間と音楽の狭間で立ち往生したり右往左往する。






あとがき
ものすごく混沌とした頭で書いている文章なので、後で読んだらいたたまれなくなってすぐに消しちゃうと思う。
ま、読んでいる人もいないだろうからいいや。

2013年4月26日 (金)

the very voice of silence

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ずっと長い間、音楽といい加減につきあってきた自分にとって
音楽と真摯に向き合っている黒田さんは眩しい存在であり
いつもすごいなあ、すばらしいなあと思ってきた

その気持ちはこのアルバムを聴いた今も変わらないし
自分に厳しく奏でられるひとつひとつの音が
彼女のものすごさを語っている


黒田さんにとって音楽とは
どんな存在なのか
生きている証、自分、そのものなんだろうか

めんどくさいとか、いい加減でいいやとか
そんなことを考えて弾いちゃったことはないんだろうか


もしかしたらあったのかもしれない

あんなこともそんなことも
すべてが自分であり、それが音楽だとしたら
それが黒田京子の世界なんだ
そう教えてくれたアルバムなんだと思う



途中でふっと流れた涙を
だめ、shezooちゃん、泣いたらだめ
そう諌められてアルバムは終わるんだけど
聴き終わった後に、なんともいえない嬉しい気持ちになる






追記:
「このアルバムは、私がピアノの無垢な響きを精一杯作り、音楽家・黒田京子が音を紡いだ記録である。」
黒田さんの活動に随所で携わってきた調律の辻さんは
ライナーノーツに、こう綴っている

音楽は決して夢の世界を演出するだけのものではなくて
人と人との思いを描くドキュメントであり
まさしく記録なんだ

あー黒田京子はやっぱりすごい








                   黒田京子 『沈黙の声 the very voice of silence』
                  

2013年4月23日 (火)

見透かされる音楽

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岡部さんはわたしがキライだ。
聞いたことはないけれど、たぶんまちがいない。
その証拠に、トリニテがそれほど頻繁にライブをやる集団ではないにもかかわらず、会うたびに「早く全部録音して解散しましょうよ。」という。

一応トリニテのメンバーである(はずの)岡部さんは楽譜を持ち帰らない。
あるライブで、キーボードが別の場所に搬送されてしまってセッティングに時間がない中、私の準備不足で岡部さんに楽譜を渡せないままライブが始まったことがあった。その時、メモリーにもかかわらず何の損傷もなく、もしかしたら普段以上に凄い演奏してくれた。そんな時おめでたい私は、岡部さんはこんなにも私のこと、トリニテの音楽を愛してくれているんだと思ってすごく幸せな気分になる。でも本当はトリニテがライブでやる音楽なんて、それほど特別な展開はないし、当たり前のことを普通にやっているその結果、というだけのことなんだけど。

岡部洋一とは何者なのか。
昭和37年1月12日生まれ、A型山羊座。高校時代からパーカッションの演奏を始める。大学在学中にブラジル音楽と出会い、卒業前からプロとしての活動を開始。ブラジリアンレストランでしばらく演奏したのち、いきなりおニャン子クラブの全国ツアーに参加。その後アイドル歌手のバックを多数つとめる。それとともにさまざまなジャンルのアーティストと共演するようになる。ジャズ系、ロック系のコンサートやライブハウスへの出演が増え、また来日ブラジル人ミュージシャンとの共演も多い。もともと好きだったアバンギャルドな音楽を演奏する機会も多くなり、最近はどんどん深みにはまってゆく日々を過ごしている。現在、トランスロックバンドとしてコアなファンをもつ「ROVO」や、「ボンデージ・フルーツ」、また16人編成のロックバンド、「ザ・スリル」のメンバーでもある。おもな共演アーティストは、バーデン・パウエル、大貫妙子、ショーロ・クラブ、向井繁春、小野リサ、村田陽一、溝口肇、中西俊博、井上鑑、epo、酒井俊、城戸夕果、ホッピー神山、角松敏生等々、枚挙に暇なし。いま、もっとも便利につかえる インチキパーカッショニストのひとりである 。

このプロフィールは2001年ウエブサイトに掲載された。
「便利な存在」とうたっているだけあって、これらは氷山のほんの一角に過ぎない。とてつもなくたくさんの音楽シーンに関わり、活躍をしてきたであろうこの年、ほぼ1人で完結したリーダーアルバム「Satiation」をリリースしている。 Satiationって飽食という意味らしい。なに?みんなに使われて飽き飽きしてるってこと?まさか。でもありとあらゆる音楽をてんこもりに食わされて来たタイコ人生を思えばむしろ納得のタイトルだったりする。

優れたパーカッショニストが時間軸に長けていることは言うまでもないが、実は音程や倍音だけでなくメロディーやハーモニーの感覚にも非凡なのだ。岡部洋一がただリズムを刻むだけのパーカッショニストではないことはだれもが知っていること。このアルバムにはそれを裏付ける世界が広がり、そこには明らかにひとりの作曲家の姿があった。

作品の全体像が見えないスタジオでひたすらたいこを叩き、ミュージシャンの後ろでライブを支える人間が何を考えていたのか。何度も聴く度に頭をよぎるのは、自分の作品を支えてくれているときも、どこか本質を見透かされていたのではないのかということ。さらには、それもこれも全部をひっくるめて、あらゆるシーンにおいて音楽を魅力的にする魔法をかけていたんではないかと。



その後もかくして岡部さんは常に引っ張りだこで、フォアグラのごとく栄養満点の音楽をわんさか食べさせられて今日に至っている。しかも陰に隠れて自分でも色々な音楽を食べているらしい。
あれから10年以上たった今、彼の頭の中ではどんな音楽が響いているのか。聴いてみたいと思うのは、わたしだけではないはず。

お墓にはCD持っていけないからもう作らない、という。そんなこと言わないで作ってくれないかな。絶対に3枚は買うから。

でもこんなブログ書いたら、もっと岡部さんに嫌われちゃうんだろうし…。






岡部洋一webサイト http://donna-oto.com/okabe/

おまけ 2013年4月23日現在のオフィシャルプロフィール(たぶん) 1962年生まれ。 高校時代からパーカッションの演奏を始める。 大学在学中にブラジル音楽と出会い、卒業前からプロとしての活動を開始。ブラジリアンレストランでしばらく演奏したのち、いきなりおニャン子クラブの全国ツアーに参加。その後アイドル歌手のバックを多数つとめる。それとともにさまざまなジャンルのアーティストと共演するようになる。ジャズ系、ロック系のコンサートやライブハウスへの出演が増え、また来日ブラジル人ミュージシャンとの共演も多い。 もともと好きだったアバンギャルドな音楽を演奏する機会も多くなり、最近はどんどん深みにはまってゆく日々を過ごしている。 現在、トランスロックバンドとしてコアなファンをもつ「ROVO」や、「ボンデージ・フルーツ」、また16人編成のロックバンド、「ザ・スリル」のメンバーでもある。 おもな共演アーティストは、バーデン・パウエル、大貫妙子、ショーロ・クラブ、向井滋春、小野リサ、村田陽一、溝口肇、中西俊博、井上鑑、epo、酒井俊、城戸夕果、ホッピー神山、角松敏生等々。 2001年、初のリーダーアルバム「SATIATION」を、2007年にはソロ・パフォーマンスを収めた「感覚の地平線」をリリース。アグレッシブなプレイで心に火をつけるアーティスティックな打楽器奏者である。 

2013年4月 9日 (火)

3つのライブ

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今年はとにかくライブをすることに決めた。
でもたくさんはしない。

3月の二人の歌手との楽しかったライブを経て、自分と向き合うライブがはじまる。





shezoo pianosolo「夜の音楽」@渋谷・公園通りクラシックス 2013/4/19 fri

夜の闇に潜む存在に
そっと灯りを照らしてみる
やがて少しずつ語り始める
夜の音楽






トリニテ「Triniteスピンオフ」@六本木・音楽実験室 新世界 2013/5/10 fri

テーマごとに作られた作品群を組曲としてレパートリーとするトリニテ
ここではふだん聴くことのできないナンバー、たとえば ふたつの月「Moons」
そして組曲「prayer」には別の顔を




シニフィアン・シニフィエ@大泉学園・インエフ 2013/6/29 sat

シニフィアンとシニフィエ、哲学に由来する不思議な響き
何が訪れるのか、今はただ呪文を唱えて見守るだけ









トリニテWebSite http://trinite.me/

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2013年4月 5日 (金)

音楽が生まれるとき

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音楽が生まれるとき
すごく疲れる。

考えたいときに、頭の中で音が聞こえているとき、ちがう音楽が外でなっているとあたまが狂いそうになる。
そんな時は考えるのをやめる。

逆にやりたくない作業をしなければいけない時、例えば洗濯物をたたむ。私の中で何も生み出さないこの動作がとんでもなく苦痛だ。
だからその時はいつもトークかスポーツ中継のストリーミングを大音量でつけっぱなしにする。
頭の中で何もならないように何も考えないように頭を麻痺させるように、耳から音を入れて耳から出す。



作曲家にとって聴力を失うことは致命傷だという。
聞こえないことは致命傷なんだろうか。
私には聴力があるから、それがわからない。
でも頭の中で聞こえている音楽は
頭の中でなっているのだから
その音を楽譜に書き写す作業に聴力はいらない。



音を生む人のメカニズムとして
武満徹の言葉を思い出した。
「曲の題名が決まれば三分の二は書けた気になる。」

作曲は芸術であるのか
有元利夫の言葉を思い出した。
「芸術とは、内なる天賦の才能を爆発させるのではなく、郵便や夕刊が配達されるように、ひっそり待っていると訪れるもの」


普段の作曲の作業といえば、自分の中、または周りか近く、もしかしたらちょっと離れたところに川が流れていて、必要な水が決まったらそこへ汲みにいく。
そんな感じ。
水を汲みにいく労力と、どこにいけばいいかの判断に集中する時間を経て
やっぱり疲れる。
でも苦しくはない。

もっと苦しんで作曲しないと人に感動を与える音楽を生める日は遠いのかもしれない。

2013年3月30日 (土)

無意識を掘り起こす

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父の兄が死んだ。
ずっと容態が悪く、ひと月前には危篤だから会いにきてほしいと連絡があったらしい。
それでもいったんは持ち越して、落ち着いていた矢先のことだった。

叔父は兄弟の中でも父によく似ていた。足が不自由な父は自分が葬儀に参列するとかえって迷惑がかかるということで、ふるさとの山形に帰ることを断念した。父は普通に振る舞っていたし、夕飯の時にはいつものようにビールを飲んで、いつものように冗談を言ったりしていた。でもその実、心の中では何を考えていたのだろう。


そういえばこの間、実家近くの酒屋の看板おばあちゃんがいなくなっていることに気がついた。いったいいつからいなかったのか。心なしかその息子も白髪が増えて、ずいぶん年をとったように見える。建物も、周りの風景も変わらないのに、そこからは風景の中にとけ込んでいた、いるはずの人がいなくなっていた。

祖父母が早く亡くなった割には両親が未だ健在なわたしは、自分に近しい存在を失う経験がないといえばない。そんな言い訳をして、あまり真剣に考えたことがなかった。
命には終わりがくるのだから、いずれは順番が来て、世代が替わる。自分の記憶の中にいる人間が、ひとり、またひとりといなくなることを、年を重ねて生きながらえた人間は経験しなければいけないんだ。早く死にたくはないけれど、それって相当きついな。でも若くして命を落とした人たちの無念さを思えば、こんなわがままを言ったらばちがあたる。長く生きた分だけ、つらいことも経験しなきゃだめなんだろうと思う。

有名人の葬儀で「いずれ俺たちもそっちに行くからな」とか「先に行ったあいつと酒飲んでるか」みたいな言葉を送っているのはこういうことだったのか。
高齢になって動けなくなった犬やネコも、ろうそくが消えていくように自分の死期をじっと待っているように見えることがある。人もそんな風に、まわりの変化を受け入れながら、自分の寿命を知るのかもしれない。

人はなぜ生まれて死んでゆくのか。消耗品のようにわらわらとその循環を繰り返しながら歴史は続いてゆく。わかりそうでわからない、解けそうで解けない問題の答えが目の前に見えない壁を作ってそびえている。


山形へ行く。父の代わりといったって、代わりにはなれないんだけど。


2013年3月23日 (土)

インタラクションツールとしての音楽vs人口知能

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ITの分野におけるインタラクションが流行っている。
人間とシステムの間で情報をやりとりすることから、おもしろいことが生まれるということらしい。

このニュースを聞いたとき、人工知能イライザのことを思い出した。
イライザは映画「マイフェアレディ」でオードリー・ ヘップバーンが演じる言葉に訛りのある女性の名前で、映画の中ではヒギンズ教授にその訛りを直される。この映画公開後に言語学者が作ったのが人工知能イライザで、相手が入力した文章にパターンを見つけてそれにふさわしい反応をするというもの。
イライザにはもちろん感情も思考もないのだけれど、いまどきの人間は相手の話を真剣に聞いてくれないのだろう、イライザが相手の文章に必ず反応をして質問をすることから、対する人間は真剣に答えてしまうのだという。

インタラクションとは「相互作用」あるいは「対話」のこと。
ようするに、人は、人と対話をするよりも、システムや人工知能とのコミュニケーションをとることを好む時代になったのかと思う。



元来なまけものだから、ライブやコンサートをずっとやらない時期があった。聴き手の見えないレコーディングは、どれだけその先を想定しても、その息づかいを感じ取ることはできない。
だから最近ライブを頻繁にやるようになって、改めて音楽が送り手と聴き手との間に存在する確固たるインタラクションの媒体であると感じる。音楽が時間に支配された表現方法であるとするならば、その時間を共有することによって、送り手と聴き手はまちがいなく互いに影響を及ぼし合うのだ。
でもそのインタラクティブな関係は、とてもクールで、決して強要されるものではない。同じ空間にいながらも、ひとりひとりが自分だけの時間に誰かと何かで影響し、される。
そんなことが誰もが知っていることだとしても、わたしはそれにやっと気づいた。




たとえiPhoneでしか音楽を聴かない人に、空気が振動して音が聞こえから大きなスピーカの前に行くと身体に音の波を感じるんだよ、と熱く語ったところで、そうなんだで会話は終わるだろう。
それは音楽に限ったことではないんだきっと。
人とのコミュニケーションも実際に会って話すよりメールやチャットの方が楽だったりする今。
あながちそれが感性の退化とか煽るべきではない。どうであれ、これだけの情報過多社会を作ったのも、それに疲れているのも、みんな人間なのだから。

だったらせめて、コミュ障の人に伝えたい。自宅警備もいいけど、ライブにはどこよりも思いっきり一人で自分の世界に浸れる瞬間がいっぱいあるんだ。


作曲をするということ@辻康介 作曲家・ピアニストと二人ライブその4


辻康介 作曲家・ピアニストと二人ライブ その4

3月24日(日)
辻康介(歌) shezoo(作詞作曲・ピアノ)

千駄ヶ谷・音楽室3F(渋谷区千駄ヶ谷2-10-1木島ANNEX3F)

16時開演(15時30分開場) 19時開演(18時30分開場)

charge:¥2,500 限定20名(要予約)飲み物持ち込み可

予約・問合:DaNemo (ダ・ネーモー)mailto:nemotsuji@mac.com

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今回、このコンサートのために2曲新曲を書いた。
寺山修司と滝口修造の詩に、正しくは書いたというより書き捕った感がある。

歌の曲を書く作業は、同じ音楽にもかかわらずものすごく特別なものだ。
まずは言葉があって、それから音がある。送り手の都合で、それが逆になったとしても、聴き手はまちがいなく言葉を先に受け取る。

自分で書いた詩の場合には、順番がどうであれ、ふたつは相まって発生してくる。
でも詩ありきの場合、まず自分が読み手になる。
詩を何度も読んで読んで読んでいくと、自然と音と曲が詩にくっついてくるので、それを湯葉みたいに掬って書きとる。なかなか掬い方がむずかしくて、別の間違ったものもすくったりするから時間がかかる。

この曲が聴き手にどう響くのか、日曜日が待ち遠しくてこわい。


そもそもいい音楽って何だ。

誰にでも開いている音楽が存在するはずもなく、開いてる人の種類によって音楽のヒエラルキーが存在するのか。
さもなくば多くの人が支持する音楽がいい音楽なのか。
たった一人が好きでたまらない音楽はいい音楽ではないのか。
そんなことがあるはずもなく、手軽にダウンロードして、誰もが自分だけのプレイリストを作れる自由を得られる現代においては、自分だけの1曲こそが大切なのだ。
いや、誰かだけのいい音楽は、時代も場所も飛び越えて、ずっと存在し続けているに違いない。

ならば、作曲者はどこを向いて音を作ればいいのか。
掬い捕った音楽なんか歌ってもらって、聴いてもらっていいのか。

音楽に正解はない。
でも、答えはきっと存在するんだと思う。

2013年3月22日 (金)

何もないところ

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人に与えられた何かを確かめに行くのではなく、自分が行きたいところで時間を過ごす。

何もなくていい。何もないところで、もし自分が何か見つけたとしたならば、それはそれで嬉しかったりする。たとえ見つからなくても、何もなくても、そこで過ごした時間は自分の中に残る。

2013年3月19日 (火)

Moons

words & music by shezoo

西の空にふたつの月が浮かぶ
ひとつは昼の月
もうひとつは夜の月

東の空にふたつの月が浮かぶ
ひとつは風の月
もうひとつは砂の月

潮の満ち引きに導かれ
月は満ち
また欠けてゆく

両極の様に引き合い
そして
互いに背を向ける

東の空にふたつの月が浮かぶ
ひとつは昼の月
もうひとつは夜の月

西の空にふたつの月が浮かぶ
ふたつの月は
それぞれを見つめる



2013年3月11日 (月)

藤井さんのこと

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藤井さんは動物病院の入り口に近いベンチに座っていた
脇にはメッシュでできた軽くて便利そうなキャリーバック

卓球のネットでできているんですって
洗えちゃうし
インターネットでひいてみたらきっと出てきますよ
と教えてくれた


そしてその中にねこがいた


はたちを過ぎてるんですよ
21か、2かもしれない、16までノラだったからわからない

リンパ腫なんです
もう手術はできない、人間なら100歳越えてますから


気がついたらそばにいた
猫なんて飼ったこともないし、どうしていいのかわからなくて

聞いたらお腹がすいているからごはんをあげろっていわれても
えさが何かもわからなかったら
これって渡されたのを見たら固いつぶで
こんな固いものをたべるのかとびっくりしました

それまでは猫の存在を意識したこともなかったし
うちのまわりに猫がいることも
猫たちにごはんをあげたり世話をしたりする人たちがいることも
町内の清掃活動のとき猫が一緒に参加していることにも気づかなかった



それから家の中に引き取りました
定期的におこなっていた血液検査でもいつも問題がなくて
じぶんたちより長生きするものと思っていた

それが突然
リンパ腫がみつかった

どうなっていくんでしょう
少しずつ体重が落ちている
でもね、手は大事ですよ
この間、呼吸困難になったときも
何もできないからずっと手でさすっていたら少しずつおさまった


時々思うんです
1年のうち1日でいいから
犬やねこと話ができる日があったら
でもそれが英語か日本なのか、困りますね
おとぎばなしみたいですけど

どんなこねこだったのか
16年間どんな暮らしをしていたのか

今はあまり副作用の出ない薬をもらってます
楽になるように
いつまでかな
穏やかな時間を過ごせさせてあげられますかね




藤井さんの名前が呼ばれて
二人はキャリーを抱いて診察室に入って行った

両親と同年代の藤井さんは
山崎ナオコーラがいうところの
「年齢をかさねて諦めることが増える、つまりあきらめるの語源、明らかになることが増えた」
人達に見えた

あんな風に年をとれたらいいな
そうすればねこだって
気がついたらそばにいてくれるかもしれない





生き物はきっと
大小の違いはあれど
必ず使命を持って生まれてくるんだ

その使命がどんな時、だれに果たされるのか
本人も気づかないまま


2013年3月 4日 (月)

音楽の顔

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音楽は生きて行くのに必須のものではないし
なくたってすぐに死ぬわけでもない

でもお腹が空くのと同じように
ひとたび聴きたくなったら
いてもたってもいられなくなる

だから自分の聴きたい音楽が
家にいながらすぐに手に入る音楽配信は
受け手にとっては良いものなんだ

そもそも音楽の好みなんて千差万別なんだから
大量生産したものを民衆が買うシステムとは
受け手の選択肢が増えた今となっては
誰もが自分だけの1曲を手にしていいし
そうあるべきなんだと思う


何かと物議をかもすデジタルデータのやりとりは
時間に価値が求められる現代に不可欠なシステムである
ならば
音楽媒体の顔ともいうべきジャケットのヴィジュアルについても
切り離されて行くのか





何を買うでもなく
小学生になったわたしは
学校帰りに近所の商店街にあるレコード店に立ち寄っては
店内をウロウロしジャケットを引っ張り上げて行く

その頃はまだ試聴なんてできなかったし
お金も持っていなかったから
ただひたすらジャケットを見て歩くだけ

あの当時、こんな子供を許してくれていた下高井戸のオスカーは
すごい店だったと思う



大人になってからは
その頃の夢を果たすべく
相当な枚数をジャケ買いに費やした

ジャケ買いはあくまでも
聴きたい曲を購入する目的ではなくて
その絵の中に潜むものがどんな音楽であるのか
想像をして楽しむもの

あたりもあればはずれもある
要するに博打なんだ
そしてそのスリルを楽しんだんだから
たとえジャケットにだまされても文句はいえない




あの頃、いや今もその気持ちは変わらない
なぜあの四角いフィールドに描かれた世界に
心躍らされるのだろう

デザイナーというフィルターを通して描かれた音楽の世界が
いったいどんな音楽であるのかを想像してみる
きっとその時間こそが
この上なく楽しいのだ




これから先
すべての音楽が形を持たなくなったとしても
どうかジャケットがなくなりませんように

Trinite「prayer」のデザインを手掛けてくれた冨貫功一さんの個展を見ながら
今日ずっと考えていたこと





                               @ GALLERY SPEAK FOR
                               冨貫功一「Double A Side」

2013年3月 2日 (土)

CHINO(vo) / shezoo(p) ライブ 3/17(sun)@レディジェーン

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「彼岸入りの夜」ライブ
3月17日(sun)@下北沢レディジェーン open 19:00/start 19:30
CHINO(vocal)/ shezoo(作詞作曲、piano)

~Trinite「トリニテ」の作曲をになうshezooが書き綴っていた歌にCHINOが命を吹き込む~

CHINOの歌を日本人はおそらく一度は聴いたことがあるはず
コーラスとして名だたる歌手を抱きしめるように支えてきたこの歌声が今、自分の声で、言葉で、聴く者にメッセージを伝え始める

charge:予約 ¥2,700/当日 ¥3,000+Drink Fee

【予約・問合せ】
LADY JANE:03-3412-3947
BIGTORY:03-3419-6261
ホームページ:http://bigtory.jp/


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2013年2月24日 (日)

うすあかりの国

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死とは
それはここからいなくなる
つまり
不在になるということ

うすあかりの国の上演に寄せて、構成と演出の櫻井拓見はこう書いている
「宮澤賢治自身が早世した妹「トシ子」の不在を追いかけたように、電信柱が息づくのを見たように、いまの私の「生」がいったいどこに宿っているのか〜再確認する試み」
「彼があと十数年長く生きていたら、例えば、あの大きな戦争の「あとの日本」を経験していたら、どんな見えないものを見て、どんな聴こえない音を聴いていたのか」





特別なストーリーも役名も持たないこの芝居は、ミニマル音楽によく似ている
だれが主役でもなく、どの楽器がメロディーなのでもない
それぞれが同じフレーズを繰り返す、同じ動きを繰り返しながら、少しずつその形を変えていく
気がついたときには別のものになって、別の場所にいる

うすあかりの国で繰り返されるひとつひとつには、必然があった
ダイナミックな起承転結がない分、単調な「繰り返す」という行為の中で、自分を見つめる眼、見つめ返す時間が生まれる
そしていくつもの「繰り返す」がひとつの層のうねりとなって行きつく先、出口の見えないトンネルの中を蠢き彷徨ったものがたどりつく先には、ひとすじの光が差し込む



聴こえない音、見えないもの
他の誰にも聴こえなくても、見えなくても
その人にだけ聴こえている、見えているものがあるはず
それが何であるのか


自分の「不在」
そして自分にとっての「生」
うすあかりの国で生きるいま
それが何であるのか





                       「うすあかりの国」 宮沢賢治 ひかりの素足より

2013年2月20日 (水)

灰の静脈

1

ずっと自分の中に鳴っている音があった

何かしているときも、何もしていないときも
それは聞こえたり、聞こえなかったり、
すごく漠然と
でも存在していた


ある時
何もしない、
あるいは何もできない時期が続いて
薄くひらべったくなった自分の中に
ボコボコと瘤のように
異物を感じた
忘れてかけていた音


衛星脳細胞として
音を具現化することは
決してつまらないことでも
いやなことでもない
むしろそれはそれで面白く
反応は顕著だからやりがいはある
でもたぶん
その才能がないんだ



いいもの作っても売れない
この言葉を何度も聞いていた
いいものと売れるものは違う
違う?
いいものはだれにとって「いい」のであり
売れるものだれにとって「いい」ものなのか

霞を食べては生きていけない
でも今なら
霞だけでもいい気がする

作っても売れない音楽を作る
そこに価値を見いだすのが
誰なのかはわからないけれど








                              photo by ニカモトハンナ

2013年2月15日 (金)

網膜襦袢

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あたりまえがあたりまえでなくなることを経験した私たちは
あたりまえの大切さを痛感したはずだった
でもまた、それがあたりまえになって
あたりまえの毎日が続くようになったら
それはまた、当然なんだから
有り難くなくなっちゃうのだ




まっくらやみのエンターテイメント
ダイアログインザダークに参加する

初めてのくらやみは
ただ見えないというだけで
ものすごい不安を覚えた
さっきまでと何も変わっていない
ここが日本であることも
今日が今日であることも
自分がDIDに参加していることだってみんなわかっている
そう思えた時、少し冷静になれて
眠っていた感覚が少しずつ働き始めた
そばにいる人の鼓動
いきなり触れたものにびっくりして
ちょっとした温度の変化や
漂う匂いからでも
少しでも多くの情報を得ようとする自分に気づく




なぜ「見た」ということだけで安心してしまうのだろう
人類が月に着陸した映像だって
もしかしたら地球のどこかで撮影したのかもしれないとか
湾岸戦争の爆撃戦だって
本当はCGなのかもしれないとか
いや、実際に「見た」と認識している現実ですらも
真実ではないのかもしれない

それよりもむしろ
暗闇の中、肌や気配で感じた記憶の方が
自分の確かな事実として記憶していける気がする


あたりまえの光の世界に戻るときには
入り口で渡された杖の存在が
必要なものではなかったことを知った



これが3回目となった今回は
はじめから妙に暗闇に慣れている自分がいた
暗闇があたりまえになってしまったから
それとも自分は経験者ですという見栄から

もっとひとつひとつの感覚をていねいに
人の眼を気にしないで
感じることを楽しめば良かったのに



http://www.dialoginthedark.com/

2013年1月31日 (木)

Two permil 〜千の音色でつなぐ絆 ヴァイオリンプロジェクト〜

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Die Milch × 多治見智高+shezoo+東保光トリオ

東日本大震災からもうすぐ2年がたちます。陸前高田の松と楓の流木で製作されたヴァイオリンの音色を通して、今一度、少しだけでも東日本へ思いをむけるきっかけをつくることができたら。。
ヴァイオリンがいる、ということだけが共通点の、全く異なる2つのグループによるライブ!

【日時】2/3(日)
【場所】velvetsun(荻窪)http://velvetsun.jp/
【料金】2000円(1drink付き)


■Die Milch
Vo,Piano 作詞作曲:Coco
Violin:Jasmine
バロック音楽をベースにし、Electro、Rockの要素をMixしたサウンドに力強いヴァイオリンとピアノ、透明感のあるロリータヴォイスが映える。ともに幼少よりクラシックを学んだ二人の演奏力もさることながら、その世界観を追及したゴシックファッションや「人形」をコンセプトにしたライブパフォーマンスは、ビジュアル的にも楽しむことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=6paWKFh9eNc

■多治見智高+shezoo+東保光トリオ「ふたつの弦楽器と遮られないピアノ」
バイオリニストの多治見智高が、作曲家・ピアニストのshezoo(シズ)と、ベーシストの東保光という猛者二人とともにおおくりするトリオの初ライブ。

★千の音色でつなぐ絆 ヴァイオリンプロジェクトとは:
このプロジェクトは、東日本大震災の被災者支援のために、ヴァイオリンドクターの中澤宗幸氏が、被災地で生まれ育った木材でヴァイオリンを製作し、氏の思いに賛同する仲間たちがこのプロジェクトを実施するための組織「命をつなぐ木魂(こだま)の会」を作り、その楽器の演奏を通して被災された方を励まし、亡くなられた方に鎮魂の祈りを捧げ、この震災でおきたことを風化させずに世代を超えて語りつないでいくことを目的としています。

★このイベントは:
イブリー・ギトリス氏、ジェラール・プーレ氏など世界の一流バイオリニストから弾き継がれてきているこの楽器を、東京を拠点に活動するクラシック以外のオモシロい、素敵なバイオリニストたちによっても響かせてみようというという試み。ジャズやポップスなどの一線を走るプレイヤーたちを集める2日間のイベント!


★関連イベント
「異バイオリン交流ナイト(異文化交流ナイト番外編)」
http://www.facebook.com/events/427674237304634/
2月2日(土) 19:00〜
@綜合藝術茶房 喫茶茶会記(四谷三丁目)
里見紀子(vn)・吉田篤貴(vn)・多治見智高(vn)・ヤマトヤスオ(ba)・柳隼一(pf)

2013年1月28日 (月)

「divination」

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幾度となく「それ」について聞かされたとしても、この目で確かめなくては実際の姿を把握することはできない。姿は網膜を通して脳に記憶として焼き付けられる。


何度も「それ」を目にしていたはず。なのに誰かの口から声として発せられた「それ」が鼓膜を通して胸に到達したとき、人ははじめて「それ」の意味を知る。「それ」が「ことば」となった時、耳と目の立場は初めて逆転する。


読めそうで読めない、手が届きそうで届かない、幾層ものガラスに書かれた無数の「ことば」は、口に出したくても出せずにいるもどかしさと重なった。




もし、この中でたったひとつでも読みとることのできることばを見つけたらどうしよう。
幸か不幸か、そのメガネをまだ持っていない。

                      

                            In response to 「divination」 byMakoto Miura


2013年1月27日 (日)

確信する脳

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上野で藝大の卒展を見て、それから早稲田にあるドラードギャラリーで「小さな絵の大博覧会」へ

今年から先端も上野での展示だった
やっとアートだと認めてもらえたということなんだろうか

ドラードギャラリーでは、Triniteのアルバム「prayer」からインスパイアされた堀みずきさんの作品「play within play」
こんな風に聴こえているんだ
http://goo.gl/CpkHb

音楽もアートも、すべての要素ができっていると言われる中
どれほど情報が溢れて、あらゆる知識を網羅したつもりでも、案外知らないものは多いと気づいた日

毎日何かに出会う

2012年12月24日 (月)

shezoo piano solo @ 横浜エアジン 12月25日(Xmas)

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夜の音楽  ジョンケージに捧ぐ
  shezoo piano solo

 john cage, alban berg,
       arvo pärt, béla bartók,
györgy ligeti, philip glass,
  

日時:12月25日(火) start7:30
場所:横浜エアジン
   神奈川県横浜市中区住吉町5丁目60
charge:2,500 円+drink(¥500~)学割有
ご予約・お問合せ:045-641-9191 /  http://yokohama-airegin.com

2012年11月20日 (火)

翠川敬基×早川岳晴×shezoo@インエフ 11月22日(木)

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翠川敬基(vc) 早川岳晴(b) shezoo(p)♪


ドビュッシーのチェロとピアノのためのソナタ。

リハもすごかった。どうしよう…

 
日時:11月22日(木) start20:00

場所:大泉学園 インエフ 西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分

   練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F

charge:3,000 円

ご予約・お問合せ:03-3925-6967 /  in-f.sato@nifty.ne.jp


非建築ということ

Photo

それから噂のドラードギャラリーへ。
本当にガウディみたいだ。

たくさん写真を撮った。
全然いいものなし。

エントランスまでしか入ることはできなかったけれど、なぜか子宮の中に包まれているような安堵感をおぼえる。





建物という言葉が不釣り合いな場所。

2012年11月13日 (火)

天使はいつもそこにいる

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天使はいつもそこにいる

地上に降りた天使に
人々が気づくことはなかった

それでも、天使はいつもそこにいた




普段見慣れたはずの風景に
天使の影を見た瞬間
そこは見知らぬ場所へと変貌する


やせたドレスの女の貧そな肉体にも
鍛え抜かれた眩い肉体にも
キスを交わす肉体の残骸にも
天使は宿っている


ほの暗い電球の光に浮かびあがる
子供たちの写真が飾られた祭壇にも
天使はたたずんでいた


震災の1か月後 オートシャッターをセットした写真家は
福島第一原発3号機の前で
レッドカード「FAIR PLAY PLEASE」を掲げた
そこには 震える彼の指を見つめる天使がいた





ファインダーを覗き込んで見えるものは
もはや写真ではない

写真家の目に映るもの
それが写真という媒体となり
見ることのできなかった者に
天使を見せうる



どの時代にも
写真家の目は天使の姿を捉えていた

見えなかった天使を見ることで
人ははじめて 何かに気づく







写真展を見終わったわたしは
ワタリウムを後にする


その時 誰かが腕を掴んだ

振り向く勇気がでない
「何をしにきたの あなたには天使は見えやしない」

掴まれた腕を払いのけ
そんなことはないと繰り返しながら
すっかり暗くなった街を駅へと走った



地下鉄の入り口は 優しい灯りで出迎えてくれた


足を踏み込んだその瞬間
「あなたには所詮 天上の天使しかみえない」



頭の中で砂女の声が響いた






歴史の天使@watari-um 

2012年11月 9日 (金)

Trinite 架空映画音楽「prayer」Live+ヴィヴィアン佐藤@サラヴァ東京

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アコースティック・クァルテット Trinite〔トリニテ〕による、架空のヨーロッパ映画のサウンドを思わせる妖しい室内楽集として8月にリリースされたアルバム『prayer』。その楽曲を中心に、第2、第3の曲集「月の歴史」「神々の骨」が絡み、表情を刻々とドラマティックに変化させていくライブ。
さらに、『prayer』ジャケットにロールシャッハ作品を提供したアーティスト・ヴィヴィアン佐藤が、自身の作品とTrinite、ロールシャッハとprayerに隠された世界を語る。





Trinite〔トリニテ〕shezoo (pf) / 壷井彰久 (vl) / 小森慶子 (cl) / 岡部洋一 (perc)
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ヴィヴィアン佐藤(アーティスト・非建築家)
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日時  2012年12月18日(火)19:00 open / 20:00 start
料金 〔一般〕Adv. 4,000円(1drink付) Door. 4,500円(1drink付)
〔学割〕Adv. 2,500円(1drink付) Door. 3,000円(1drink付)※エントランスにて要学生証提示
場所  サラヴァ東京 東京都渋谷区松濤1丁目29-1 渋谷クロスロードビル B1
問合  contact@saravah.jp  TEL03-6427-8886
予約  電話:TEL 03-6427-8886 予約受付デスク:14:00~18:00(月火木金 / 祝日を除く)
    インターネット:こちらまで





人間が失ったものの歌from「prayer」

2012年9月 8日 (土)

上野は上野〜表現の自由

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東京芸大の藝祭に行ってきた。
http://www.geidai.ac.jp/life/geisai/2012.html


まずは神輿。

嬉しいほど暑い中、上野公園の中央広場に次々と神輿が入ってくる。
当たり前だけど、作品のクオリティーは高いのだろうな。
たとえば、日本画の学生が創ったカエルの後ろ姿、ふんどしをしめたお尻となびく衣には思わずふへー。


結局大賞をとったのは、これまでの神輿にはなかった宇宙飛行士のフィギュアを宇宙に飛ばすという、アイディアが評価された建築の作品だった。

10年前から参加したというスポンサーからは「自分たちの参加以降に設立された科。最初は風船を持ってパレードに参加していた皆さんが、こんなにすばらしい神輿を創れるようになったのが嬉しい(実はエア神輿だったという話もちらほら)」という評価で、先端も受賞。
過去の作品を見れば、これまでの「神輿」という概念にとらわれていた考え方を、ヒンズー教の哲学に結びつけたことは、先端芸術科の意味が少しずつ浸透してきていることなのかもしれない。


気になったのは、TwitterのTLに、音環の学生が夏中制作に協力したのに先端の神輿としかの扱いになっていることへの発言があったこと。
他の音楽学部の生徒もそう思っているの?
確かに音環は他の音楽学部とは違う位置なのだろうな。
ピアノ科の生徒が、ハリボテののり付けを酷暑の中やっているとは間違いなく思えないから。





それにしても音楽棟は静かだ。(そもそも藝大自体がとってもお行儀がいいんのだけれど。)
ふだんはその辺で行儀悪く練習してる人たちって普通にいるのかな。
音楽は美術と違って、受け手がスイッチを入れなければ末端を届けることすらできないんだから、もっとゲリラみたいな人たちがわらわらいてもいいのに、と思ったり。


たくさんの才能や可能性、アートのフラグメンツと出会えた中、改めて、伝わらなければ表現媒体ではないと確認できた時間だった。





タブーの下にエネルギーが吹きだまるという、ミック板谷さんの言葉がぐるぐる。
11月2日からの多摩美の芸祭が、今からすごく楽しみになっている。
http://tau-geisai.com/theme.html

2012年9月 5日 (水)

ヴィヴィアン佐藤の宇宙

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アルバム「prayer」の制作にあたって、最終的には全部自分でやることになった中で、発売を控えて最も困ったのはデザイン関係だった。

誰にも相談できず、ぎりぎりの中で、作品のイメージを広げてくれると感じたアーティスト、ヴィヴィアン佐藤さんに、ジャケットに作品を提供して頂けるように直接、完成前の音源を渡しにいった。
二日後、ご連絡を頂き、prayerに賛同頂いたことから、アルバムのデザインが構築されることになった。

打ち合わせの際に、束のようなノートを見せてもらった。
そこには星の数ほどの非建築としてのアイデアが鏤められていた。
その宇宙をどう表現しても、言葉には足らなくて、日々に流されている。




でも、その事実を昨日改めて確認することができたPass the batonの展示へ行ってきた。

『DIE PERSPEKTIVE ALS‘SYMBOLISCHE FORM’<象徴形式>としての遠近法』


とにかく、展示の脇に貼ってある手書きのスケッチの魅力。


織物を始めたという事実も、惑星のことも、楽器のことも。




歯車
互いに影響しながら動き続けるさま。
スケッチから、作品に至るまで、音楽的な表現としてのクラスターやグリッサンド、モアレの様に動き続ける
生命体を感じさせます。

ガラスに貼られた三つの作品♪



VIVIENNE SATO solo exhibition
「DIE PERSPEKTIVE ALS 'SYMBOLISCHE FORM'[象徴形式]としての遠近法]」
会期:2012年8月30日(木) ~ 9月23日(日)
会場:PASS THE BATON GALLERY(表参道店内)
住所:渋谷区神宮前4-12-10 表参道ヒルズ西館B2F
TEL:03-6447-0707
営業時間:11:00~21:00(日・祝 11:00~20:00)

「VOGUE FASHION'S NIGHT OUT SPECIAL LIVE & TALK SHOW」
日時:2012年9月8日(土) 18:30~ LIVE、19:00~20:00 TALK SHOW
会場:PASS THE BATON OMOTESANDO
ゲスト:ヴィヴィアン佐藤氏 × 野宮真貴氏 × 冨沢ノボル氏
ライブ:代官山王国(多治見智高・ヴァイオリン/藤井琢也・アコーディオン/祖父江太佑・アコースティックギター)
司会:遠山正道(パスザバトン代表)

歌に引き込まれる瞬間

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吾妻光良&The Swinging BoppersのDVD「STAGE&BACKDOOR」入手♪


きっとみんな、不思議だろうな。
バンマス吾妻光良とshezooの関係とか。

かつてAZABU生がピアノを習うお嬢ちゃんの英語の家庭教師だったということは誰も知らない…。
わはは。

ま、色々あって先日再会したのですが、当時の楽しかった時間があっという間に蘇った訳です。
たとえば、同じ言葉を同時に言った瞬間、遅い方がアイスクリームをおごる「ハッピーアイスクリーム」(ひええ、懐かしい)とか。
試験の時には、文字が書ける木材の筆箱を持参する(深い意味はありません)とか。

Mitsuyoshi

とにもかくにも、彼の音楽に対する愛情はすごい。
これまで音楽を通じて受けてきたであろう様々な想いを、聴く人には楽しいものとして届けたいという気持ちがストレートに伝わってくる素晴らしいDVDです。
MCやお宝映像もはもちろんね。

そして何よりも私の心に響いたのは、彼の歌う在り方です。
ちょっとしたフレーズに置いても、魂が込められていること。

べたではない日常を表現することと、非日常との違いを今、感じています。

2012年9月 3日 (月)

生誕100年ジョンケージとキノコ\(^o^)/

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すでに現代音楽のフィールドを飛び越えて、
ジョン・ケージはすごいことになっている。

昨日の夜のTBS菊池成孔の夜電波では
4分33秒を既に一般常識とさせることに成功していた。
すごいなー。ぱちぱち。


プリペアドの音源アプリができたことがここ数日で回ってきた。
iphoneについては無料だそうです。
使えないからね。


12月にケージを含めた現代曲のライブをやります。
その際には、自分が作ったプリペアドを模索しています。
いつも邪道ですみません。

どんなプリペアドになるか、まだまだ詰めなければいけないけれど、
もしかするとケージ以外の作品にもプリペアどるかもしれません。

でも、ピアノには優しくありたい。

おやすみなさい。

2012年9月 2日 (日)

shezoo plays Ensor アンソールという画家と音楽

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友人に誕生日のグリーティングカードを送ろうと思い、彼のプロフィールを覗いていたら好きなアートの中に「アンソール」の名前を見つけた。


ジェームズ・アンソールという画家。


アンソールは「仮面の画家」とも称される彼の作品には、仮面や怪物、骸骨といったグロテスクなモティーフが華麗な色彩で描かれ、人間の心の奥にある偽善や虚飾などの感情がユーモアを交えて表され、表現主義やシュルレアリスムを予言する「20世紀美術の先駆者」とも呼ばれているそう。

かなり以前、ジェームズ・アンソールの音楽作品をレコーディングしたことがあった。


「ラ・ガム・ダムール〜愛の調べ」アンソール・ピアノ曲集(ALCA-124)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000UVDZGA/ref=cm_sw_r_tw_dp_xuJqqb1057FJQ

ピアノ、編曲:前田志津←ex. shezoo
収録曲:1、愛の調べ マリオネットのデート~哀歌と子守歌~愛の調べ~葬送行進曲~抱擁~バーバリー・オルガンのために
    2、オンテンド・ロータリー・クラブのマーチ
録音場所:世田谷美術館


そういえば、世田谷美術館の録音ということでカラスNGとかがあったっけ。
http://artist.cdjournal.com/d/-/1291060367


世田谷美術館で録音するということ、アンソールの録音許可をベルギーに問い合わせること、このときのプロジェクトすべて対して、プロデューサーの三竿貴世さんの「成し遂げる」という意思と力はものすごかった。

現在の自分の音楽にも大きな影響力を与えてくれていると思う。




今年2012年は、春から「ジェームズ・アンソール 写実と幻想の系譜」展が豊田市美術館、愛媛県美術館と巡回している。
この後の予定は下記の通り。
9月8日(土)〜11月11日(日)損保ジャパン東郷青児美術館
11月23日(金・祝)〜2013年1月14日(月・祝)岩手県立美術館
2013年2月8日(金)-3月17日(日)岡山県立美術館


ちなみに関連番組FMトワイライトNHKでは『抱擁(「ラ・ガム・ダムール」より)』が流れていたらしい。





私はアンソールの世界観が好きだ。
全盛期にも芸術の中心地、パリに行くこともなく、港町にありがちな実家の土産物の屋根裏をアトリエにして、人魚の剥製や貝殻のあやしい土産物やカーニバルの仮面に囲まれて、死の陰を多く残した作品を制作していたという。

まるで引きこもりのような生活。
彼は何と向き合って絵を描いていたのか。


それが30代後半になると、毒はまったく消えてしまう。
いったいアンソールに何があったのだろう。





私にとってオステンドとは。


あたかも停止しているように強風に向かって飛ぶカモメたちを見ていたら、気づかぬうちに周りが満ち潮になっていて、冬のドーバー海峡からびしょぬれになってホテルへ帰った。
シャワーを浴びて、とにかく何か食べよう、そう思い町に出ると、小さな店から灯りが漏れていた。
何を注文したのか、覚えていないけれど、年配の男女が楽しそうに踊りはじめて、しばらくして一緒にと誘われた気がする。
でもシャイな日本人は輪には入れず、酔った頭でずっと彼らの踊りを見ていた。

翌朝、どうやって帰ったかの記憶がなく、勘定を支払ったかどうかもあやしかったので、駅に向かう前、店を訪れてみた。
間違いなくその通りにあったはずなのに、店らしい建物を見つけることはできなかった。


そんな記憶の場所である。


2012年8月21日 (火)

CHINO(vo) meets shezoo's Songbook 9/14(金) @大泉学園インエフ

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◇CHINO(vo) shezoo(p)◇
日時:9月14日(金) 7時30分スタート
場所:大泉学園 inF(インエフ) 西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分
練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
http://in-f.cocolog-nifty.com/
charge:2,500 円
ご予約・お問合せ:03-3925-6967 /  in-f.sato@nifty.ne.jp
* お席が少ないため、ご来場の際は事前の予約をお願いします。

かつて「うた」を書いていた時があった。
自分自身では歌えない「うた」に詩をのせてみると、伝える媒体が複数になってしまい、かなり居心地が悪かった。

そんな中、請け負う仕事が多くなって来たこともあって、少しずつ「うた」は音箱の奥底にしまわれていく。


存在すらもすっかり忘れていたあるとき、私はCHINOの「うた」を聴いた。
それは、劇団東京セレソンデラックスの「流れ星」の音楽を担当した時。
彼女がテーマ曲になっていた「見上げてごらん夜の星を」の歌ヴァージョンを録音した後、私のピアノヴァージョンを録音することになっていたレコーディングの現場での記憶。

心にしっかりと何かを伝えてくれるその「うた」がずっと気になっていた。
でも、具体的に何ができる訳でもなく、日々は過ぎていく。

3.11を受けて、チャリティコンサートに参加をする際、ふとCHINOの「うた」と、自分が置いていてき「うた」を思い出して、コンサートにCHINOに出演を依頼した。
しばらく見なかった彼女は赤ちゃんをしょってやってきた。
え。いいのこれでと思っているうち、聴いてくださった満席を埋める人々が、彼女の「うた」とMCにもっていかれてしまっていた。

CHINOはギョーカイ的にはすごく活躍している人だから、CM、アニメ、コーラスと、絶対みんな彼女の声は聴いてはいるはず。
でも、これってこのまま終わってしまってよいのだろうか。

もっと多くの人に、CHINOの「うた」を伝える責任が自分にはあるのではないかと感じた。


「人間の透明化について」
「ひとひらのため息」
「天使の仕事」


トリニテを自分のスタンスとしている中では、とても苦手な日常的な音楽の表現。
こんなタイトルでライブをする。

2012年8月12日 (日)

お盆vsグレゴリオ聖歌

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思いっきりころんだ傘の生活でダメージを負いつつも、久々に部屋で傘をさしている。


さすがにビニール傘の中は暑い。

Triniteのライブはもう1週間後なんだ。
レコ発ライブはアルバムの発売日でもあるわけだから、インディーズ者には山のような仕事が課せられている。
AmazonやiTunesなどの流通の契約、商品としてのバーコード貼り…

メディア関係は多くの友人が助けてくれて、Triniteのオフィシャルサイトもプロモーションも、粛々と作業が進んでいる。本当に感謝。
しかし、いかんせん在庫関係については誰にもお願いできるはずもなく、流通からお買い上げの方に届いた商品は、作曲家でアレンジャーでピアニストのshezooが毎夜ピキピキバーコードシール貼っているものが届きます(^▽^)/
わけのわからないプレミアもんだ。わはは

さらにはJASRACの申請に書類を出さないとお金が入ってこないから、こっちも急ぐ。
足らない書類もあってあたふたしている。

当たり前だけど、普通の音楽の仕事もしなければいけない。



多くの日本国民が3.11をきっかけに日常は永遠に存在しないと知ったその一年前、わたしは1歳の誕生日を迎えたばかりのネコ、きゅうを自分の過失で死なせてしまった。


そして、きゅうが死んでからこの2年あまりの時間を、傘の中で改めて考えてみる。

秋田の熊牧場で従業員を襲った熊たちが射殺されたこと。
テレビで人気者だった犬のZIPPEIたちが車の中、熱中症でなくなったこと。
避難区域の動物の行く末。




命ってなんなんだろう。
人間は、地球上の生き物として、あまりにも奢っていなかったのか。


その結果として人間は今、目に見えない力が動いているのを確実に感じている。






Triniteの組曲すべてに入っているDies Irae 怒りの日。
最後の日にあなたは何をしますかという歌詞がついているグレゴリオ聖歌を基本としています。


そんなことを少し考えてもらえるきっかけになるとするならば、良かったと思うわけです。

2012年8月10日 (金)

人に必要なエネルギーのあり方

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Brilliant Noise by ゼロバイゼロ


3.11は日本人の何かを変えた。

オリンピックで連日伝えられるメダルラッシュも、目に見えない形で私たちに影響を与えたことの証であると感じている。


「絆」という言葉でくくられると無性に悲しくなってしまう。
そもそも、「絆」ってどういう意味なんだろう。
絆=人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。


震災で経験したことは、離れがたい結びつきを考えることではない。
ひとりひとりが今の自分を見つめ直して、立ち、歩いていくことを教えてくれたのではないのか。
その一環として大切な人の存在を改めて感じ、ともに生きていくことの大切さを教えてくれたのだと思う。


人にとってエネルギーは大切だ。
お腹が空いたら元気が出ない。
それでも音楽に夢中な時は食べなくても平気だったりする。


社会を動かすエネルギーはそうはいかないらしい。
東電は原発再稼働しなかったらたいへんなことになりますよー、と言っている裏で、政府官僚は自然エネルギーの利権システムを着着と作っているらしい。
『「自然エネルギーを利権にするな」(青山繁晴)』 http://amba.to/OWF6KW

多くのふつーの国民が、休みを献上してまでも原発いらないと必死に叫んでいる裏で、こんなひどいことが行われてことは許せない。


おまけ。
絆のもう一つの意味として
馬などの動物をつないでおく綱、とある。

需要が約束されているエネルギーを、利権に取り込んで、身近の将来の安心を確保する。
ないです。もうそんなことはないのです。
体制によっては未来がすぐそこでぷつっと切れてしまうかもしれない。
そんな風に考えたりしないのか。


「明治維新と外圧」石井孝著に、結局は明治維新も権力のスライドだったったということが書かれているという。それが今、まさしく踏襲されているというのか。


そんなことを憂いながら、反原発デモにも参加できない者は小さく叫んでみる。


なぜ、みんなが幸せになってはいけないのだろう。












2012年8月 6日 (月)

トリニテshezoo pf/壷井彰久vl/小森慶子cl/岡部洋一perc オフィシャルwebサイト

Trinite
shezoo pf/壷井彰久vl/小森慶子cl/岡部洋一perc

オフィシャルwebサイトopen

http://trinite.me/ 


2012年7月22日 (日)

Trinite アルバム「prayer」+ヴィヴィアン佐藤

Prayer_jk

2012.8.19release



神の存在を信じるか否かを論じる前に
今 見えないチカラ
世界中に神々の骨が散らばっている

日常は永遠ではない

その生き様を見守ってきた月に
私たちの星の未来を問う

そして
少しだけ 祈る

その祈りは決して宗教的な意味ではない。

人間は弱い存在である。
先の見えないことに対して誰もが不安を抱く。
自ら犯した過ちに恐れる。
愛する者のため、その日と無事を願う。
そして人は祈る。

日々の何気ない行為として、生きている証として人は祈り続ける。



Trinite
shezoo pf
壷井彰久 vl
小森慶子 cl
岡部洋一 perc

2012年7月14日 (土)

Trinite「prayer」レコ発ライブ 8/19(日) shezoo pf/壷井彰久vl/小森慶子cl/岡部洋一perc @公園通りクラシックス

Trinite_sample3_5


prayer

その祈りは決して宗教的な意味ではない。

人間は弱い存在である。先の見えないことに対して誰もが不安を抱く。
自ら犯した過ちに恐れる。愛する者のため、その日と無事を願う。

そして人は祈る。日々の何気ない行為として、生きている証として人は祈り続ける。



Trinite
shezoo pf/壷井彰久vl/小森慶子cl/岡部洋一perc

日時  8月19日(日)19:00open 19:30start
料金  3,000円(前日までにご予約の方) 3,500円(当日)
場所  公園通りクラシックス
    渋谷区宇多川町19−5東京山手教会B1

【ご予約・お問い合わせ】 tel 03-3464-2701 17:00以降 公園通りクラシックス(月曜定休)

2012年6月12日 (火)

【クラシック ア・カペラのアウラが「四季」全曲を歌う】のアレンジをしました

いつだっただろう、プロデューサーの岸さんから「四季をアウラで歌うことは可能だろうか」という相談を受けた。

以前、春の1と冬の2をアレンジをしたこともあるし、アウラのスキルもわかっている自負があったりして、スコアをチェックしながら「大丈夫です」と軽く返事をした。


わたしはバカだった。
ヴィヴァルディの四季がどれだけのおばけなのか、知らしめられる日々が訪れたから。


それに対してアウラのメンバーは本当にタフだった。
原曲に近く響くようなアレンジについては、技術的に無理だろうと思っていた内容についても、ことごとくリハーサルで音を再現してくれていた。
さらに人の声での再現は難しいと慮ってアレンジした部分についても、やってみたいということで再アレンジをした。

ここまでの経緯を読んで、初音ミクのような打ち込み声音源のようなトリッキーな作品などとは決して理解しないでください。

言葉を理解する、人の心に伝える声でしか表現し得ない作品になっています。

メイキングはまた後日。

クラシック ア・カペラのアウラが「四季」全曲を歌う!
クラシック・ア・カペラとして2008年のメジャーデビュー以来、さまざまな名曲を歌ってきたAura(アウラ)が、満を持してヴィヴァルディの「四季」全曲を発表。
春の第1楽章、冬の第2楽章のみ過去に録音してきたが、テクニックと表現力をすべて投入した全曲は、まさに世界初の試み!
■I MUSICI(イ・ムジチ)の同時発売「四季」とデザインを合わせたジャケット仕様
2012年7月4日発売


ヴィヴァルディ「四季」/アウラ
Vivaldi' Le'Quattro Stagioni’/ Aura
収録曲
1.春 第1楽章
2.春 第2楽章
3.春 第3楽章
4.夏 第1楽章
5.夏 第2楽章
6.夏 第3楽章
7.秋 第1楽章
8.秋 第2楽章
9.秋 第3楽章
10.冬 第1楽章
11.冬 第2楽章
12.冬 第3楽章

編曲:shezoo


EPICレコードより発売
ESCL3932 \3,059(税込)

2012年6月 6日 (水)

【Live】Quipu+ゼロバイゼロ/Ngatari / 大石俊太郎 / @ 喫茶茶会記

Flyer_2


post
6月、二回目の土曜、夜。
もうずいぶん夏のようになっているかもしれません。
それとも、雨の降り続く一日かもしれません。

音楽とお酒を愉しむ、小さな会を催します。


2012年 6月 9日(土)
open 19:00 / start 19:30

¥2,000- (含 1drink)


□Live

■Ngatari(Jessica(vo) 須山真怜(pf))
 http://www.ngatari.com/

■大石俊太郎(sax) 山中敦史(pf)
 http://soundcloud.com/shuntaro-oishi

■Quipu+ゼロバイゼロ
音のつくりだす明滅する空間。四人の音がからみ合い、白熱電球は踊りはじめる...
・Quipu(shezoo(pf) 多治見智高(vl) 大垣知也(ba) 渡部正人(dr))
 http://shezoo.cocolog-nifty.com/
 http://tjmtmtk.tumblr.com/
・インスタレーションアート集団 ゼロバイゼロ -" Brilliant Noise"
 http://www.facebook.com/oxoxo.zerobyzero/info
 http://www.flickr.com/photos/oxoxo_me/sets/72157628090586666/

 (※順不同)


□Bartender: Jun Ashikari
 http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=43776


□会場への行き方
喫茶茶会記 http://gekkasha.modalbeats.com/
東京都新宿区大京町2-4 1F
最寄駅 四谷三丁目駅

四谷三丁目駅一番出口を出て、右に曲がり、新宿方面へ。
左側にドトールコーヒー、スーパー丸正などをみながらそのまま直進すると左側にセブンイレブンがあります。
セブンイレブンを通り過ぎてから一番初めに出てくる左側の道に曲がって下さい。
そのまましばらく直進して頂けると右側に「喫茶茶会記」の看板が出ていますので、右に曲がって下さい。
そのまま直進してもらって行き止まりになっているところにお店があります。

2012年6月 4日 (月)

象のいる星→島袋道浩

Photo_14

ひとつの曲の中に、いったいどれだけの可能性を秘めているのか。
バッハの作品にはたくさんのおいしい素材が骨組み自体にたっぷりと溶け込んでいる。
同じアレンジをするのも、宇宙に匹敵するほど奥の深いバッハの世界観に触れながらの作業は至って楽しい。


たとえ「ひとつの素材にしても様々な料理法、たくさんの『表現の可能性』があることに驚かされる」と、食と美術の関係について書いている島袋道浩展に行った。

またその関係については、食べるのも料理するのも好きで、それは新しい作品の発想やヒントになる、という。 米を洗ってから炊くという常識を持つ日本人の彼が、そのまま炒めることで調理が始まるイタリアのリゾットをおいしく食しながら、時には常識から離れてみるのがいいことを学ぶ。


今回の展示は、美術家にとどまらない芸術家、島袋道浩の作品の中でも食に関したものが多い。

「自分で作ったタコ壺でタコを捕る」
訪れたイタリアでしばしば食卓にあがっていたタコ。タコ壺など見たこともなければ、そんな漁の方法も知らない漁師と共に海へ向かった時の映像。小舟の上でいくつもいくつもタコ壺を引き上げる、がどれも空っぽ。やっと手応えを掴み、壺の中からタコが顔を出した瞬間、見ているこちらも思わず嬉しくなって笑口元がゆるんでいた。タコは浜辺で待つギャラリーに披露された後、そっと海に帰された。

「ワタリさんのところで食べる野菜や果物で作った北斗七星」と「タマネギオリオン」
表参道にあるワタリウム美術館の近所、トラックで売りに来る八百屋の野菜が星に替わって並んでいる。普段見慣れているはずなのに、新鮮で美しい。星のごとく尊い存在にすら感じられる。

その中で、「シマブクのフィッシュ・アンド・チップス」は静かに想いを放っていた。
イギリスの定番料理、海と大地との出会いを自分自身で表現したいと思い、海の底で転がるように浮かぶぼんやりとしたじゃがいもの輪郭と、それをつついたりしながら周りで戯れる魚を映像にしたという。

何気ない風景やふだん見慣れたものが新鮮に映り、生きていることの喜びが伝わってくる。


3階から4階に上がる外階段からは、街の喧噪をBGMとして隣のビル屋上に展示されているビルボード写真「象のいる星」を楽しめる。
ここには椅子が置いてあり、小さな張り紙があった。
『花のお茶 300円』
そこに書いてある番号に電話をかけてみる。しばらくすると、温かいジャスミンティーが運ばれて来た。耐熱性グラスの中でジャスミンの花が揺れていた。
周りに高い建物がないせいか、遠くまでよく見える。西日に輝く表参道の街を、こんな形で上から見る事ができるとは夢にも思わなかった。


Photo_12


そうか、ここは地球なんだ。 


生きるとは、どういうことなのか。
展示物がむずかしい問題を投げ掛けてきた訳ではない。
自分の中で、そんな疑問がごく自然に沸き上がってきた。


今、雨風をしのげる家に住みごはんを食べる、そんな生きるために最低限必要なことすらも叶わない人たちが、かつて裕福なはずだった国、日本においても急激に増えている。 天災、人災に関わらず、私たちの住む地球は、いつからこんなにも生きることに厳しい星になってしまったのか。
水と緑に溢れ、太陽の光が降り注ぎ、生命の象徴のような存在だったはずの星が悲鳴をあげている。声高にエコを叫ばなくとも、この星が病んでいることくらい百も承知だ。


自分は何ができるのか。
エコソングを作って歌ってみる?→→→→→→→→→→→→→→→→→いや、それは違う。

相も変わらず非力な自分と、またもや向き合うはめになった。

「運が良ければ買えるアーティストブック」
ホームレスに仕事を提供し自立を応援するために作られた雑誌、ビッグイシューとのコラボレーションとして、ワタリウム美術館近辺でビッグイシューを売るホームレスに「象のいる星はありますか?」、または前出の八百屋さんに「トマトと象はありますか?」とささやくと、ゴソゴソと本を出してくれて購入できるというもの。運のよい私は、日曜日限定で美術館前に店を開く石ちゃんから入手することができた。


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ナマコを最初に食べた人が「これは食べられるのではないか?」と思った自由な発想力、口に入れてみる勇気と実行力こそが新しい「作品」を生むには必要である、とも彼は書いている。

新しいという言葉に「以前と違う」という意味もあるらしい。
初めての新しさだけでなく新旧が入り交じってもいい、現状を打破するためには、こうであるはずという思い込みから一歩足を踏み出した発想、考え方の柔軟な展開が求められているのかもしれない。

2009.1.12


2012年5月18日 (金)

Trinite+ゼロバイゼロ デイライトライブ@JVCケンウッド丸の内ショールーム

Brilliantnoise11_11


Triniteデイライトライブ@JVCケンウッド丸の内ショールームはゼロバイゼロとのインスタレーションライブへ

日時:5月26日(土)/13:00-14:00(開場12:45)
出演:「ゼロバイゼロ」+「トリニテ」shezoo(ピアノ)、壷井彰久(ヴァイオリン)、小森慶子 (クラリネット)、岡部洋一(パーカッション)   
入場無料/要予約:℡03-3213-8775/JVCケンウッド丸の内ショールーム



2011年の夏、アート作品の中で行うライブへの出演者を募るサイトを見つけた。

Brilliant Noise by ゼロバイゼロ

出演者募集(ミュージシャン、パフォーマー)
“Brilliant Noise”の空間内において、ライブパフォーマンスを行って頂けるアーティストを募集致します。
Brilliant Noise では、白熱電球が碁盤目状に63個吊るされており、各電球は音に合わせてダイナミックに点灯します。もちろん人の歌声や楽器の音にも反応します。
普段体験することのできない、音が光を作り出す高架下空間をぜひお楽しみください。

作品コンセプト
ひっきりなしに電車が頭上を通過する元町高架通商店街。電車が通ると、すごくうるさく、まともに話しも出来ません。 でも、電車が去ったあと、耳をすますと、高架下でもいろいろな音がしていることに気づきます。 電車の音、話し声、街のBGM、車の音… あたりまえの事ですが、人々の活動が、様々な音を生み出しています。 本作品で私たちは、音に反応して光る電球を用いて、神戸の街の活動を光の動きで表現します。 普段何気なく聞き流している街の音に合わせ、光を点滅させることで、人々の活動を視覚的に際立たせます。 鑑賞者は、音と光の点滅を通して神戸の街のエネルギーを感じ、また、神戸の人々の多様な活動をこの高架下から想像します。


それがインスタレーションアート制作集団、ゼロバイゼロの作品Brilliant Noiseとの出会い。

神戸では、闇に包まれ生活音も聞こえてくる三宮の高架下がステージだった。
今回は昼下がり、有楽町の一角で、ゼロバイゼロは私たちプレーヤーに観客に、さらにはガラス張りのオーディオショールームを通り過ぎる人々に、何を魅せてくれるのだろう。



以下2011年11月25日のブログから転記:

BrilliantNoiseライブ@神戸ビエンナーレ「輝きを揺らすもの〜存在の不確かさ」
shezoo(ep)、多治見智高(vl)

元町駅から地図と住所をたよりに会場を探していった。
住所の表示がよくわからなくて、1時間ほどうろうろした。
町の人に聞いても、すごく丁寧で親切なんだけれど、みんな言うことが違う。

この迷路から抜け出せるのか、ふらふらと歩いていたら、誰かが腕を掴んだ。
顔を上げると阪神の震災でも生き残ったモトコーこと元町高架下商店街の入り口がボオッと目の前に現れた。そして一歩足を踏み入れた瞬間から、私はあっちの世界にぐいっと引き入れられた。
地方の商店街にありがちな多くのシャッター状態ではあるものの、古着屋、立ち飲みスタンド、アンティーク、呑み屋、パチスロ、子供服、履物屋、宝石箱のような店が並ぶ。
その中に、高架下アートプロジェクトの展示作品が、あたかもテナントのようにさりげなく入っていた。
そのひとつ、ゼロバイゼロのBrilliantNoise。
音に反応するという電球が天上から結構行儀良く並んでいる。
音がトリガー(スイッチ)になっていて、ライブが始まる前から、高架上の電車の通過音や、自動車の通過音に電球は反応していた。
そこに時折漂う、醤油のこげるニオイ。

すぐそばに居ながらなかなか辿り着けない、そんなあやしくも魅力的な商店街の一角で、人々は音と交叉する音楽に耳を傾け、天上の光を感じていた。
MCでエラそうに「音楽はコンサートホールやライブハウスの中で演奏されるだけではないはず」と言った時、大きな反応があった。
そんなことは周知の事実であって、誰もが自由に音楽を奏で、楽しめばいいのだ。
でも、私が言いたかったのは違う。

音楽を受信するアンテナが耳だけではなくて、視覚、触角、今回自ら学んだ嗅覚も、もしかするとさらなる可能性もあるのかもしれない。


音楽にはたくさんの側面がある。
今の自分を勇気づけてくれるもの、安らぎを与えてくれるもの、昔の時代を思い出させてくれるもの、知らない世界を見させてくれるもの。

音と音楽の違いは、聴くためのある一定の時間を強要することにある。
どれほど技術が向上した所で、録音も録画も実際の醍醐味を再現はできない。

でも、それ以上に、インスタレーションライブはその時、その場所に送り手と受け手が同時にいなければ中身を伝えることはできない。
それは、空間と時間を共有したものだけが得られる体験なのだ。

2012年4月16日 (月)

Trinite デイライトライブ@JVCケンウッド丸の内ショールーム

Kenwood_2


■デイライトライブ■(New)

『東京の真ん中で音楽の種蒔き。トリニテLive』 ~トリニテ(trinite)・スペシャルLIVE~

日時:5月26日(土)/13:00-14:00(開場12:45)
出演:「trinite」shezoo(ピアノ)、壷井彰久(ヴァイオリン)、小森慶子
(クラリネット)、岡部洋一(パーカッション)
内容:ピアニスト、shezoo(シズ)の詩的でメロディアスな曲を、ヴァイ オリンとクラリネット、そしてパーカッションが見事なアンサンブルで魅了するアコースティックライブです。ひとつひとつの音の存在がどの ような意味を持つのか?その答えが聴こえてくる、まさに音楽の種を蒔いているような、知的で都会的なライブをお楽しみください。

shezooブログサイト:http://shezoo.cocolog-nifty.com/blog/


入場無料/要予約:℡03-3213-8775/JVCケンウッド丸の内ショールーム
定員:30名(座席数が25弱の為開演15分前より予約順に御着席戴きます。
その時間に不在の場合は後回しとなり立ち見になることもございます。
ご承知置き下さい。なお、複数での申込みで遅れて来られる方の席の確保は開始直前までとさせて戴きます。)
※予約受付(電話のみ):JVCケンウッド丸の内ショールーム 03-3213-8775


2012年3月24日 (土)

お知らせ

東日本大震災復興支援チャリティ公演「手をつなごう 湘南から東日本」
忘れてはけない! 東北!!

日時 3月30日(金)13時半開場 14時開演
料金 2,000円 全席自由
   (石巻市と平塚市の災害時相互応援に関する協定に基づき募金及び収益金はすべて拠出致します)
場所 中央公民館 大ホール
   神奈川県平塚市追分1-20
問合 090-2227-6646(東日本大震災復興支援チャリティ平塚公演実行委員会 渡辺)
主催 東日本大震災復興支援チャリティ平塚公演実行委員会
共催 社団法人日本芸能実演家団体協議会震災復興支援プロジェクト


<第1部>落語家と音楽家のコラボレーション 
前半はミニコンサート、後半は音楽入りの落語をお楽しみ頂きます。
出演:三遊亭遊雀
演奏:フルート 中瀬香寿子
   ピアノ  shezoo
   ボーカル CHINO

三遊亭遊雀師匠の落語、フルートの中瀬香寿子さん、ピアノのshezooさん、ボーカルのCHINO(チノ)さんによるコラボレーションを展開します。音楽と落語が交じり合った、不思議でいながら実に楽しい
演出が観客の気持ちをしっかりと掴み、会場を終始笑いの渦に巻き込んでいきます。


<第2部>朗読劇「金子みすゞ最後の一日 みんな違って」
三遊亭圓窓 作/長沢大 演出/浜田晃 企画 
出演:石濱 朗
   中 真千子
   中村 万里
   小磯 勝弥
   小田部 千夏
   浜田 晃

三遊亭圓窓作、長沢大演出による「金子みすゞ最後の一日~みんな違って」を上演。この上演台本は三遊亭圓窓作で、本来はご自身の高座台本として書き上げたものです。今回、日本映画俳優協会のベテランから若手俳優たちが朗読劇スタイルで上演します。それにフルートとピアノが加わるというコラボレーションです。


2012年3月11日 (日)

ハンス-ゲオルグの記憶

  シズ、君は勘違いしてる。
  原子力は原爆ではないんだよ。
  使い道によってはとても安全で、むしろ人間の生活に必要になるんだ

ハンス-ゲオルグはことあるごと私に言っていた。

彼はドイツで知り合った友人であるユミのご主人で、音楽をこよなく愛する原子力学者。
ドイツに行った当時英語しか話せなかった私とっては、良き理解者であり、年の離れた友人のような存在だった。
見た目は年齢不詳、しかもどういう技を使っていたのか、学生しか買えない500円の天上桟敷の立ち見席のチケットで一緒にオペラを見ていたっけ。

ある時はヘリウム原子の模式図がポップにデザインされたTシャツ姿で現れ、原子力のしくみを丁寧に説明してくれた。
化学に疎いわたしにはちんぷんかんぷんだったけれど、こんな人間に対してまで熱意をもって接するその姿勢は、まさしく尊敬に値するものだった。
そんな彼が推奨するものであれば、きっと間違いはないと感じたことを覚えている。




5年前、ずっと音信不通だったユミから封筒が届いた。

そこにはブラームス作曲の Ruhe, Su・・liebchen (やすらかに眠れ、愛しいひとよ)の歌詞と
ハンス-ゲオルグの写真。

誰よりも音楽を愛し、ユミを愛し、人を愛していた。

彼はかつて東海村で勤務していたこともあった。
日本の原子力発電の発展にいくばくかの寄与をしたのかもしれない。

遥か彼方から、今の日本を彼はどんな想いで見ているのか。





Hans_yellow_3


Dies Irae for God's Bones 組曲「神々の骨」のための『怒りの日』
Youtube

何をするすべもなく、ただテレビに映し出される津波の映像を見ていたとき
頭の中で繰り返し鳴っていた音を五線紙に置いた。

失われたたくさんの尊い命が
決して無駄にならないために


2012年2月24日 (金)

caption 2012_02_22 trinite@晴れたら空に豆まいて

20120223_203753

trinite


それは
ひとつの種から始まった


トリニテに蒔かれた種は
4人の手によって
それぞれに込められた「存在」の意味を確かめながら
やがて街へとその姿を変えて来た


ひとつめの種
#prayer なぜ人は祈るのか

ふたつめの種
#月の歴史 鏡に映る自分

みっつめの種
#神々の骨 細胞との対話


そして 2012年
トリニテは次の種を蒔く

幸せの価値観という存在


2012 02 22 晴れたら空に豆まいて

2012年2月14日 (火)

2/22 Trinite Live 「fragments of dinnertime」

トリニテは
shezooの楽曲に封じ込められた
私たちを取り巻く「存在」の意味を
メンバーの演奏を通して聴く人たちへ届け
伝えるユニット

これまで発表された組曲は3つ
#prayer なぜ人は祈るのか
#月の歴史 月に操られる地球に住む者として
#神々の骨  いのちと向き合うこと

そして
トリニテは次の存在へ
2012年
最初のライブ




Fragments_of_dinnertime

2012.2.22.
fragments of dinnertime 


EG3S / Ensemble Schubale{中瀬香寿子(fl) 、 桑野聖(vl)}、片桐久尚(keyboad)、一本茂樹(cb)、斎藤たかし(drums)
Trinite〔トリニテ〕 shezoo(pf)/壷井彰久(vl)/小森慶子(cl)/岡部洋一(perc)
日時  2月22日(水)  18:30開場 19:30開演
料金  前 3,000円 当 3,500円  +1D(500)
場所 晴れたら空に豆まいて
   東京都渋谷区代官山町20-20モンシェリー代官山B2
   電話03-5456-8880
予約 メール予約

2012年1月27日 (金)

ふたつのインスタレーションライブがもたらしたもの 

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2011年
神戸では音に反応するアート作品、BrilliantNoise(by oxoxo)と共に、
川崎では美術館内に降り注ぐやわらかな光の中で、
ふたつのアートの場に音が溶け合うインスタレーションライブを行った。


「輝きを揺らすもの〜存在の不確かさ」
神戸の高架下のスペースで頭上を電車が行き交い
外の車が走り去るたびに白熱電球が危うい光を放っては消えて行く。

「自然の光を揺らすもの〜存在の確かさ」
等々力緑地に囲まれた川崎市市民ミュージアムには
12月とは思えないほどあたたかな日差しがさしこみ、
家族連れが楽しそうに日曜日の午後を過ごしていた。

共に出入りが自由なオープンスペースでのライブであり
ライブハウスやコンサートホールとは違って
様々な生活音が交叉する中、音楽は始まる。

神戸のライブの後、ブログにこんなことを書いていた。
「音楽を受信するアンテナが耳だけではなくて、視覚、触角、今回自ら学んだ嗅覚も、もしかするとさらなる可能性もあるのかもしれない。」(BrilliantNoiseライブ そして砂女)


ほとんどの人が初めて聴く音楽だったに違いない。
そこにあった音楽。(YouTube)


BrilliantNoiseでは音の静寂さは闇を招くことを意味し
不確かな存在が消えてしまわないように
聴き手が暗闇とノイズの向こうにある音楽を必死に聴こうとしているのが伝わってきた。


午後の美術館に溢れる光は 神戸の時とは比べ物にならないほど
満ち溢れていた。


この試みを通して、音楽は何かを伝えられたのだろうか。

充分すぎるほどに降り注ぐ光は あまりにも心地良かった。
それは今置かれている存在の意味を確かめる力を奪うことにもなることを学んだ。

光=目で見えることがもたらす力を過信してはいけない


インスタレーションライブ
理由を持って与えられた空間で聴く音楽によって
聴き手に自分の存在を考えるきっかけを作るということを
これからも提案していく。


Kcm_trinite_5


2012年1月26日 (木)

【Live】fragments of dinnertime 『EG3S/Ensemble Schubale』『Trinite』 @晴れたら空に豆まいて

Mohoinaji


#prayer #月の歴史 #神々の骨
今年 Triniteは次の街へ出発する


トリニテは三位一体
様々なケースに形を変えながら
私たちを取り巻く 存在の意味を問い 提案する


Triniteの作品を演奏する集団は 自らの意志で呼吸するTriniteへ
4月 レコーディング開始






2012.2.22.
fragments of dinnertime 

EG3S / Ensemble Schubale{中瀬香寿子(fl) 、 桑野聖(vl)}、片桐久尚(keyboad)、一本茂樹(cb)、斎藤たかし(drums)
Trinite〔トリニテ〕 shezoo(pf)/壷井彰久(vl)/小森慶子(cl)/岡部洋一(perc)
日時 2月22日(水)  18:30開場 19:30開演
料金 前3,000円 当3,500円  +1D(500)
場所 晴れたら空に豆まいて
   東京都渋谷区代官山町20-20モンシェリー代官山B2
   電話03-5456-8880
予約 前売予約

2012_02_22_4


2011年12月 5日 (月)

ふたつめのインスタレーションライブ

Shezoo_live_2


② 川崎市市民ミュージアム プロムナードコンサート
場所:川崎市市民ミュージアム 逍遥展示空間
http://www.kawasaki-museum.jp/
日時12月11日(日)  13:30〜14:00/15:00〜15:30
出演:「Triniteトリニテ」shezoo(pf)、壷井彰久(vl)、小森慶子(cl)、岡部洋一(perc)
題名:自然の光を揺らすもの〜存在の確かさ
概要:自由に作品を見ることを目的として美術館内に設置された逍遥空間。ここに降り注ぐやわらかな光と展示作品、そしてピアノ、バイオリン、クラリネット、パーカッションが紡ぎだすTriniteの響きによるインスタレーションライブ。
問合:川崎市市民ミュージアム 企画広報044-754-4500

人と人と

Imgres

かんがえたこと

確かにえん罪は
明日の私にとて起こりうることかもしれない

人が人を裁くことに過ちがないとは断言できない

それでも
失われた時間
誰が補ってくれるのだろう

5%の残像

インタラクションとして
プログラミングされた人工知能イライザ
どんな問いかけにも丁寧に答えてくれる
実在の人とのコミュニケーションよりも
心を感じることができる


心の所在

どこにあるのか


2011年11月25日 (金)

BrilliantNoiseライブ そして砂女

Biri4

3.11を境に、自分には音楽しかない、音楽を発信し続けることが自分のできることだとわかった。
音楽に携わる人たちから、そんな言葉をよく耳にする。
確かにあの不気味な揺らぎは、直接的な被害に遭わなかったわたしたちに、皮肉にも良い意味で色々なことを考えるきっかけを与えてくれた。


自分にとっては明日が永遠のものではないという事実を目の当たりにして、音楽をやり続けることが自分の進む道だとはむしろ思わなかった。
確かに生きる糧を得ている意味においては、音楽を作ることで自分も生かされている。

でも、それがなぜ音楽なのか。




震災とは関係なく、この数年は音楽を作る理由を探し求めて来た。
初期の作品に「一人称の人々」という曲があった。利己主義的な考え方をする一人称の人たちを歌った内容で、簡単なコードとざかざかというつなぎ言葉で綴られていく。
今となっては楽譜は見当たらないし、内容も朧げだ。
ただ鮮明に覚えているのは、その曲を一緒に演奏した人たちの困惑した表情だった。
「演劇みたいだね」とか「たまにはこんなのあってもおもしろいね」とか。

全然演劇的でもなく、普通の音楽作品だったんだ。
その考え方は今でも変わっていない。

私は一体何がしたかったのだろう。


BrilliantNoiseライブ@神戸ビエンナーレ「輝きを揺らすもの〜存在の不確かさ」
元町駅から地図と住所をたよりに会場を探していった。
住所の表示がよくわからなくて、1時間ほどうろうろした。
町の人に聞いても、すごく丁寧で親切なんだけれど、みんな言うことが違う。

この迷路から抜け出せるのか、ふらふらと歩いていたら、誰かが腕を掴んだ。
顔を上げると阪神の震災でも生き残ったモトコーこと元町高架下商店街の入り口がボオッと目の前に現れた。そして一歩足を踏み入れた瞬間から、私はあっちの世界にぐいっと引き入れられた。
地方の商店街にありがちな多くのシャッター状態ではあるものの、古着屋、立ち飲みスタンド、アンティーク、呑み屋、パチスロ、子供服、履物屋、宝石箱のような店が並ぶ。
その中に、高架下アートプロジェクトの展示作品が、あたかもテナントのようにさりげなく入っていた。

そのひとつ、ゼロバイゼロのBrilliantNoise。
音に反応するという電球が天上から結構行儀良く並んでいる。
音がトリガー(スイッチ)になっていて、ライブが始まる前から、高架上の電車の通過音や、自動車の通過音に電球は反応していた。
そこに時折漂う、醤油のこげるニオイ。

すぐそばに居ながらなかなか辿り着けない、そんなあやしくも魅力的な商店街の一角で、人々は音と交叉する音楽に耳を傾け、天上の光を感じていた。
MCでエラそうに「音楽はコンサートホールやライブハウスの中で演奏されるだけではないはず」と言った時、大きな反応があった。
そんなことは周知の事実であって、誰もが自由に音楽を奏で、楽しめばいいのだ。
でも、私が言いたかったのは違う。

音楽を受信するアンテナが耳だけではなくて、視覚、触角、今回自ら学んだ嗅覚も、もしかするとさらなる可能性もあるのかもしれない。


音楽にはたくさんの側面がある。
今の自分を勇気づけてくれるもの、安らぎを与えてくれるもの、昔の時代を思い出させてくれるもの、知らない世界を見させてくれるもの。

音と音楽の違いは、聴くためのある一定の時間を強要することにある。
どれほど技術が向上した所で、録音も録画も実際の醍醐味を再現はできない。

でも、それ以上に、インスタレーションライブはその時、その場所に送り手と受け手が同時にいなければ中身を伝えることはできない。
それは、空間と時間を共有したものだけが得られる体験なのだ。

私が扱える媒体は音楽。
意味を持って与えられた空間で聴く音楽によって、聴き手に何かを考えるきっかけを作るということを提案し続けていく。


それが音楽を作る理由になるのか、インスタレーションライブの定義につながるのか。

2011年11月13日 (日)

聴くこととか見ることとか

Gaudi

時代の流れに惑わされず、残り続ける音楽は、普遍的に良い音楽なのだろうな。
たとえばジャズのスタンダード、民謡やフォークソング、そしてクラシックの作品とか。
これらは楽曲のバランスの良さと完成度の高さから、映画やCMでもしばしば使われて来たのは誰もが知る所だ。

そんな名曲の数々を選曲して、センスがあると評価のあるのがソフトバンク白戸家の一連のCMだ。
チャイコフスキーに始まりドビュッシー、B・クロスビーの「Let It Snow! 」、エディット・ピアフと、ここにきて当初のクラシック路線から離れていわゆる名曲にシフトして来ていたから、次は何が出るのかと期待していた。


新シリーズ「スベテノヒトニアイヲ」
前半は音楽がない。
終わりの方になって、遠くから誰かがやってくるかのような、あのわくわくするイントロが聞こえてくる。

ああ、白戸家はここに行き着いたんだ。
それはCMに携わる人が一度は気になり、そして多くのミュージシャンに影響を与えたであろう曲、30年ほど前にサントリーローヤル ガウディ編で使われたマーク・ゴールデンバーグの「剣と女王」

この曲はゴールデンバーグのアルバム「鞄を持った男」の中に収録されている。
アルバムは、今でこそアマゾンでも普通に購入できるけれど、配信もなかった頃は中古ですらなかなか手に入れることができなかった。
それでもなんとか手に入れて、嬉しくてさっそく聴いた。
この一連のCMに使われた曲が3曲も入っている。
何ともいえない、収まらない感覚がすばらしい。
繰り返して聴いた。

でも違う。何かが違う。
あのCMで聴いた時に受けた、あの感覚にはほど遠い。
確かにマルチでたった一人で録音したものだから、当時の楽器のポテンシャルを考えれば寂しいのは当然と言えば当然のことなのだけれど、そういうことではない気がした。

その後、ことあるごとにYouTubeでCMを見た。
あのわくわくは何度見てもやって来てくれる。
そしてやっとわかったこと。
私はこの曲を目と耳で聴いていたんだ。
あの強烈な映像とランボーへのフレーズが読まれる中で流れる音楽こそが、この曲のイメージだったに違いない。

基本的には、どんな映画や映像で使われていた音楽でもできるだけ切り離して考えるようにしていたつもりだし、一定の曲をヘビーローテーションで聴くことはないから、過去の自分と記憶がリンクすることはないと信じていた。
それでも白戸家のCMでは、イントロが流れてくる度にTVに目がいってしまう。
でもそこには当たり前のように、ランボーはいない。
良い音楽をも完全に取り込んでしまうほど強烈なインパクトが、あのCMにはあったのだ。
私の音楽に対する聴き方など、木っ端みじんに吹き飛んだ。

人は耳で音楽を聴いていると確信している。
物理的には耳から入ってくるのは間違いない事実だから。
でも、脳は鈍感なんだろう。
目と耳と、またある時は肌で受けた感覚を、あっという間に他の感覚と錯覚して、あたかもそれが当然だったかのように記憶していく。


いくら耳で聴いてもらうことを前提に音楽を送り出していても、どこで受け取るかは受け手の自由であるという特権こそ、送り手としては何よりも大切にしなければいけないのかもしれない。


2011年11月 9日 (水)

shezooによるふたつのインスタレーションライブ

Photo_2


① Brilliant Noise ライブ
日時:11月19日(土)18時40分〜19時20分
場所:元町高架下(JR神戸駅〜元町間)モトコー5#250
神戸ビエンナーレ高架下プロジェクトBrilliant Noise展示内
http://www.kobe-biennale.jp/compe/kouka/2011.html
出演:shezoo(ep), 多治見智高(vl)
題名:輝きを揺らすもの〜存在の不確かさ
概要:音に反応する白熱電球が吊らされたBrilliant Noise(oxoxo作品)におけるピアノとバイオリンによるインスタレーションライブ
問合:プラネットEartH 050-3716-3540
planet1@motokou.com


② 川崎市市民ミュージアム プロムナードコンサート
場所:川崎市市民ミュージアム 逍遥展示空間
http://www.kawasaki-museum.jp/
日時12月11日(日)  13:30〜14:00/15:00〜15:30
出演:「Triniteトリニテ」shezoo(pf)、壷井彰久(vl)、小森慶子(cl)、岡部洋一(perc)
題名:自然の光を揺らすもの〜存在の確かさ
概要:自由に作品を見ることを目的として美術館内に設置された逍遥空間。ここに降り注ぐやわらかな光と展示作品、そしてピアノ、バイオリン、クラリネット、パーカッションが紡ぎだすTriniteの響きによるインスタレーションライブ。
問合:川崎市市民ミュージアム 企画広報044-754-4500

Shezoo_live_2

アイドルとアートを結ぶキーワード

Hokuto7sei

このブログで、まさかアイドルのことを書くとは思わなかったし、読んで下さる方にも居心地の悪さを感じている方が多いと思う。
だから、あえて書く。


AKB48の海外進出に対して、プロデューサーの秋元康氏が伝える番組を見た。

AKB48のシステムは、私たちは頑張っているという姿勢を真摯にファンにアピールすることで、この子たちが頑張れるなら自分も頑張れる、だから応援したいという図式でアイドルを作り、ファンに届ける。世界共通のコンセプトをしっかりシステムとして構築していた。

そのシステムには、秋元氏のアイドル展開のためのフォーマットが準備されていて、どのグループに何人配置するという実務的な内容も共存するらしい。 しかし、AKBのプロジェクトの中でも、フォーマットに振り回されて、コンセプトの大切さが理解できなかったプロジェクトにおいては、必ずしも成功しない事例もあったという。
番組を見ていたはずなのに、コンセプトの意味を正しく理解できていなかったであろうアナウンサーは最後に「要するに側にいるようなカワイイ子がいいんですよね」と残念な発言をしていた。一体彼女は何を見ていたのか。従来のような考え方でアイドルを立ち上げたところでは、アイドルが「側にいるようなカワイイ子」ではなくなった瞬間、ソフトとしてのアイドルの役目は終わるのだ。
つんく氏はとても才能のあるメロディーメーカーだから、モー娘もあれほど一世を風靡したのにソフトの魅力がなくなったら続かない…。
なぜ、AKB48はチェーンのように繋がるのか。


共通言語としてのコンセプトがいかに大切か、改めて考えてみる。

ミュージシャンでもアーティストでも、表現は当然のようにみんながしていること。伝える先に何かを届けるだけはなく、何かを考えてもらえる状況に持っていくことこそ、秋元氏の言わんとするコンセプトなのではないか。


河原温は絵はがきを書いて送った
島袋道浩は自分で作ったたこ壷でたこを釣って料理を作って食べた

何でもないことが、人に「考える」を与えるきっかけになっていく。

表現の内容はまったく違っても、その意味に於いてはアイドルも、アートも、決して変わりはない。


2011年9月11日 (日)

存在の不確かさ

Erendira

何度も夢に見る



ナチの党本部だった大学の建物こと
外壁に銃弾の痕が無数に残る

ある時、ハーケンクロイツが建物に掲げられていた
大学時代には完璧に私のミカタだった守衛が教えてくれた
「シズ、映画の撮影だよ。ここでは時々ある」
校内に入って行くとナチの将校が大階段を駆け上がっていた

そんなこと、どうでもいい


朝一番の練習室を予約していたから
急いで守衛室で確認する

「シズ、キミの予約は入ってないよ」

いや、そんなはずはない
今日練習しなかったら間に合わないんだから




場所はスタジオに跳ぶ

すでにオケがスタンバイしている
楽譜は…鞄から出した五線紙は真白

焦ってMacを開く
HDにもiDiskにも
作品のデータはどこにも見つからない



大学の地下への階段前
立ち入り禁止の立て看板

守衛たちはおもしろそうに言う
「降りていっちゃダメだよ、地下は拷問室だからね」






G ガルシア・マルケス「エレンディラ」
現実と非現実を隔てる境界の危うさに溺れそうになりながら

あるはずのものの存在が不確かなこと
その現実は非現実をも飲み込む

2011年7月24日 (日)

イノチの所在

Photo_3


15才の私に、ハンス-ゲオルグは言った。

「シズ、原子力は原爆と違ってこわいものではないんだよ。」

「原爆の子」という詩集こだわり続けた私に、彼が繰り返し伝えたこと。

そうなんだ。

ハンス-ゲオルグはドイツの原子力科学者で、東海村でも働いていた。


震災のあとから色んなことを考えているのは私だけではなくて
あの瞬間から、鏡の向こうの世界とこちらとが
入れ替わったんではないか、
そう感じているのはおちまさとさんのブログで知った。

6月、子供の頃にピアノを習っていた先生の葬儀に行った。
80才を越えていたことから、周りからは大往生という声が聞かれた。

大往生とは。
少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。
また、りっぱな死に方。

先生の様に、充分生きる時間を全うしたであろう年齢の方に
「大往生」という言葉が与えられるんだ。

りっぱな死に方。

死に方によって、命の価値は変わるのか?
ずっと頭の中でぐるぐるしている。

つまり、この震災で無念に巻き込まれ、死んで行った人たちは、
苦しみ無念を残し死んで行った人たちはりっぱではなかったのか。

未だ自分の身体すら見つけてもらえない人たちは
どんな死に方なんだ。

避難地域に残された牛たちは
ゆらゆらと町をさまよい
いなわらを夢見て死んで行った。


いなわらを与えられた牛たちは
えさが汚染されていることも知らないまま
と殺されたにもかかわらず
食としての命を遂げられないまま廃棄されて行った。


放射線量が多いからという理由で、
採取されないまま土に残ってしまったほうれん草は放置され、
出荷される事なく畑に死ぬ。


私はどうなんだ。

冷蔵庫に忘れら干涸びた野菜は。
消費期限が過ぎてしまった肉を。

捨ててしまったことはないのか。


命はどこにあるんだろう。

2011年7月 3日 (日)

IRISH JAZZ CAFE サラヴァ東京

7月14日(木)
IRISH JAZZ CAFE
19:00 open 20:00 start
Adv. 2500円(+1drink order) Door. 3000円(+1drink order)
SARAVAH 東京
〒150-0046
東京都渋谷区松濤1丁目29-1 渋谷クロスロードビル B1
TEL/FAX 03-6427-8886
contact@saravah.jp

2011年6月28日 (火)

お知らせ

東日本大震災復興支援チャリティ公演「手をつなごう 湘南から東日本」

日時  7月2日(土)10時半開場 11時開演
料金 1,500円 (うち500円は義援金)
場所 ラディアンホール
   神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
問合 0463-72-6911

東日本大震災復興支援チャリティ公演「手をつなごう 湘南から東日本」が、二宮町生涯学習センターラディアン・ホールで7月2日(土)に開催される。主催/同公演実行委員会。共催/社団法人日本芸能実演家団体協議会震災復興支援プロジェクト・二宮町文化施設等振興協会。

公演の第1部は落語家と音楽家によるコラボレーション。フルート中瀬香寿子とピアノshezooのミニコンサートに続いて、音楽入りの落語が楽しめる。三遊亭遊雀が出演する。

第2部は、26歳の若さで早世した詩人金子みすゞが過ごした生涯最後の日を描いた創作落語「金子みすゞ最後の一日~みんな違って」(三遊亭圓窓作)と、朗読「宮沢賢治を読む」。

2011年6月 9日 (木)

【新・ジャズ攻略法:ジャズと即興と作曲を三位一体にする】富澤えいち

音楽ジャーナリスト、富澤えいちさんによる
4.16Trinite(トリニテ)@公園通りクラシックスの記事

音楽ジャーナリスト&ライターの眼 
~今週の音楽記事から~

【新・ジャズ攻略法:ジャズと即興と作曲を三位一体にする】
配信日:2011年6月9日 | 配信テーマ:ジャズ 

ジャズにおける“作曲家”の地位というのは、ビミョーだと言えるかもしれません。

というのも、即興性が重視されるジャズでは、あらかじめ定められた譜面どおりに演奏することに対して、あまり高い評価を与えなかったりするからです。

もちろん、完成度の高い楽曲は演奏者が取り上げる頻度も高くなり、結果的に“スタンダード”と呼ばれる名曲としての評価を得ることになります。

しかし、その評価とは、完成度の高い楽曲の再現がどれだけできているのかではなく、そこに自分ならではの表現をどれだけ発露できているかが重視されるというのが、ジャズの特徴なのです。

つまり、楽曲は演奏の基準となるものではなく、自己表現のための土台、きっかけを与えるべきもので、完成度の高い楽曲とは「それだけ自分流に崩すのが難しい、手強い相手」という評価を与えられるべきものとして位置づけるのが正しい、というわけです。

ところが、こんなジャズと作曲の関係性を根本から揺るがすようなライヴに出会いました。それは4月16日のこと。

当夜、東京・渋谷の公園通りクラシックスで行なわれたのは、Trinite(トリニテ)というユニットのライヴ。Triniteは、ピアノのshezoo(シズ)を中心に、ヴァイオリンの壺井彰久、クラリネットの小森慶子、パーカッションの岡部洋一という、ちょっと変わった編成のユニットです。

ボクがshezooの演奏を初めて観たのは、もう20年ほど前。当時はDEBORAH(デボラ)というヴォーカル&ピアノのユニットで、ジョージ・ガーシュウィンの曲をアレンジして全曲録音しちゃおうなんてユニークな活動をしていたので、おもしろい人だなぁと注目するようになったのです。その後、彼女はソロ活動を本格化し、ピアノ演奏とともに作曲にも勢力を注ぎ、映画「白い犬とワルツを」(2002年公開)や映画「戦国自衛隊1549」(2005年公開)の音楽を担当するなど、活躍の場を広げていきました。

Triniteは、もともと横浜市主催の2002年「シンフォニック・イン・ジャズ」(横浜JAZZプロムナード関連コンサート)のために発表したジャズ・コンボとオーケストラのための曲が発端。このときは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団との共演で組曲の第1章「The Prayer~祈り」が披露され、以降、ライヴを重ねながら第2章「月の歴史」が全容を見せ、当夜は最終章「神々の骨」がいよいよ姿を現わすということだったのです。

shezoo自身はTriniteについて「このプロジェクトが始まったころは、漠然と曲を作って、演奏するだけでした。でも、そのうちに、言葉のもつ力に惹かれて、歌詞をつける作品も増えてきました。ところがあるとき、“自分はなぜここにいるのだろう”という“哲学の入り口”のようなことが無性に気になり始めて、それからはテーマに対してひとくくりの楽曲と文章を提示するほうが、自分の考えがしっかり伝わるのではないかと思い、組曲の形態をとったTriniteへと移行していきました」と語ってくれました。

このようにテーマ性の強い作品を演奏するTriniteにとって、演奏者の自由なアイデアは邪魔になるのではないかと聞いてみると、「Triniteの楽曲の多くは、テーマとテーマのあいだにアドリブをはさむというような、わかりやすい形で構成されています。メンバーに対しては、アドリブであろうがフリーになろうが、とくに制限はしていません。彼らが作品の世界観を理解してくれているかぎりは、いかなる“炸裂”が起きてもいいという考えなんです(笑)」という答えが返ってきました。

shezooが提示し、メンバーが共有するという“Triniteの世界観”とは、いったいどんなものなのでしょう? それは「Triniteの演奏を聴いていると、『工事中の街に来たようですね』と言われたことがあります。言い得て妙だと思ったのは、わたしが造成した土地に、メンバーとともに設計図を見ながら建物や公園、またあるときは工場なども建設しながら、聴き手が訪れるのを待っている――、そんな感じがしているからです」ということなのだそうです。

ボクもまた、ライヴのたびに曲の印象が変わっていくTriniteの不思議な魅力についての答えを、「最初はまだ建物も少なくて、どんな街ができるのかわからない時期を経て、訪れる人が増えてくると、思いがけない場所に新しい店ができているのを見つけたり、前に建物があったところが空き地になったりしていて(笑)、サプライズがあります。Triniteにとってライヴを重ねるということは、いろいろな街を創造しながら、そこを旅していくというイメージが近いと思っています」という彼女の言葉によって見つけたような気がしました。

「音楽は、時間の経過を共有するアートであり、作品を感じてもらうためには、受け手に一定時間の拘束を強いることにもなります。メンバーも観客も、最初はお互いさぐり合いだったのに、演奏が進むにつれて心音や呼吸が重なっていく。ライヴがわたしを幸せにしてくれると思うのは、そんな瞬間なんですね」と笑ったshezoo。

彼女の作曲へのアプローチと音楽への距離感が、即興と作曲、そしてジャズの新たな関係性を生み出していくことを期待しながら、Triniteの“街”がどんな風景に変化していくのかを、見続けてみたいと思っています。

【concept】
ジャズに関する旬の話題を取り上げて、そこに含まれる「ジャズを理解するために必要なポイント」を分析し、解説していきます。「なんとなくカッコイイから」を脱却して、「なるほど、だから好きなんだ」と納得できるようになる、“読むジャズ観賞”の新シリーズです。
2011年6月 9日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち


2011年5月12日 (木)

Message & Songs

アウラから東日本大震災で被災された方へ

01_星めぐりの歌/宮沢賢治

02_斎太郎節(宮城県の民謡)

03_相馬盆唄(福島県の民謡)


2011年5月 8日 (日)

ZIMOUN サウンドスカルプチュアとインスタレーション 

45


音楽という媒体を扱っていると、あるときは聴き手の立場とも交錯し、意識が曖昧になっているのに気付く。

でもこういう作品に触れると、改めて「創る」というのは「考えるという行為」だと認識させられる。

「感じる」は作品の中に隠され、受け手によって封印が解かれる。

http://zimoun.ch/

2011年5月 6日 (金)

shezoo(Comp,p)キプ特集 世田谷FM 6月26日

Bit

友人のDJでもあり、鍵盤奏者でもあるSweeperさんの企画で、shezooのリーダーバンド、Quipu [キプ]の特集が6月26日(日)世田谷FM83.4MHzでオンエアされます。
世田谷FM

トリニテとはまったく違った世界を味わう事ができるはず。
現在ライブ活動は休止していますが、再開も予定しています。

インターネット配信もありますので、ぜひチェックを。


2011年4月30日 (土)

洗濯物とわたし

全自動 洗濯物干し取り込み収納機があったら

どんなに高くても買う
洗濯は大嫌いだから

前回取り込んだ山から
着られる服を抜いて来たけれど
ストックが底を付いた

腱鞘炎の腕に
洗濯バサミのしごきは拷問だ


痛みに耐えかねて手を休めた
ふと目を落とすと

砂女が歩いている


追いかけなければ
不条理のこと、腱鞘炎のことを問いたださねば

急いで外に出ると
そこには誰もいない

あきらめて戻ろうと振り返った瞬間
目の前に砂女が立っていた


永遠な存在を信じてるの
ふふん

 形あるものはやがて朽ちる
 命あるものはいつか召されることなんて
 よくわかっています

日常があたりまえだとか
永遠だなんて奢っていたら
痛い目を見るのは自分なんだから


また腕を掴まれそうになったので
逃げた


逃げた


いつもそうやって逃げているのね
砂女の声が聞こえた


原美術館
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
やなぎみわ「砂女」

2011年4月28日 (木)

バラコーネに砂女が来た日

小森さんと別れた後
展示を見ようとカーテンで仕切られた部屋に入った


部屋は暗くて
よく見えない



何かの建物…

あれはなんだ
バラコーネ?



次の瞬間 

砂女は脇にたっていた


ようこそと手を差し伸べたら
老婆のような手が
私の右腕を掴んだ


祈ることしてるのね
ふふん

不条理なことが
たくさんあるわよ


翌朝
リアル右手が腱鞘炎になった




原美術館
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

やなぎみわ「砂女」
Photo


2011年4月17日 (日)

DiesIrae for God's Bones

作品が生まれるとき
いや 生まれる前
しばらくの間もやもやとしたものが自分のまわりを漂って
それが少しずつ音としての形をあらわしてくる

曲によって フレームを準備してから中を埋めて行くとき
数学の問題を解く作業も伴ってしまうけれど
問題を解いている最中も もやもやが漂って
もやもやしながら問題を解いて
自分の音を探していく


2011.4.16 Trinite
ライヴの予定はずいぶん早くに決まっていた
その間 今回の命題であった組曲『神々の骨』の中の最後の新曲
DiesIrae 日本語で「怒りの日」を書いていた

「怒りの日」はグレゴリオ聖歌で歌われていた一節で
キリストが過去を含めた全ての人間を地上に復活させ
その生前の行いを審判し 
天国と地獄とに振り分けるという内容で
モーツアルトやヴェルディのレクイエムに使い
それを映画やアニメの音楽として耳にすることも多い

この「怒りの日」を
わたしは自分の組曲すべてで作曲して行こうと決めている

まだTriniteというユニットではなかったものの
ひとつ目の組曲『Prayer~祈り~』を初めてのライブにかけたひと月前 
2001.9.11があった

その祈りは決して宗教的な意味ではなかったのに
多くの慈善団体から問い合わせが来た

「人間は弱い存在である。
先の見えないことに対して誰もが不安を抱く。
自ら犯した過ちに恐れる。
愛する者のため、その日と無事を願う。
そして人は祈る。
日々の何気ない行為として、生きている証として人は祈り続ける。」
当時こんなコメントを書いていた


紆余曲折がありながらも
休眠状態にあったトリニテを支えてくれた
inFでのライヴ当日
2010.3.22

大好きなねこ 
きゅうが亡くなった


何をやっているのかもわからないまま
日々仕事をしていたけれど
時間は流れて行く


何度も何度も「怒りの日」を書き直した

結局6曲書いて
それでも納得がいかなくて
昨日のライヴ当日の朝に書いたのが
「DiesIrae for God’s Bones」

わたしには
がんばろうと訴える音楽は書けない
ただ
想いが伝わるような音を作ることが
大切なんだと思う

もやもやの霧が晴れたとき
FlowerGarden
という言葉が
音と一緒に見えた


とても重かったり
難しい内容が多い私の曲を理解し
すばらしい作品にしてくれる
メンバーに
心から感謝します

2011年3月31日 (木)

for us, for japan

Anemone on red and roses with sweet peas


Anemoneonredandroseswithsweetpeas
Paintng Kirishima Rumiko


2011年2月28日 (月)

【Live】 『Trinite』  shezoo(pf)/壷井彰久(vl)/小森慶子(cl)/岡部洋一(perc)

Trinite

shezoo(pf)/壷井彰久(vl)/小森慶子(cl)/岡部洋一(perc)

Hand2

 

7ヶ月の時間を経て、トリニテを再開します。

『神々の骨』終結へ。
そしてふたつの月。

 

 

日時 4月16日(土)19時開場 19時半開演
料金  2,700円(前日までにご予約の方)
    3,000円(当日料金)
場所 公園通りクラシックス
   渋谷区宇多川町19−5東京山手教会B1
   電話03-3464-2701
  (月曜定休、営業時間17時から22時)
予約 PC  携帯
問合 MOTコミュニケーション 042-719-7523(平日10時〜19時) 

 

 

三位一体を意味するTrinite(トリニテ)。
場末に潜むロストチルドレン、月の有機的心音、自らの意志を持った細胞…
shezooの世界感を絶世のプレイヤーがそれぞれの色に放って行く。
「The Prayer〜祈り〜」「月の歴史」そして「神々の骨」へ

 

 

 

 

 

2010年10月16日 (土)

目に見えない表現

アーティスト志望の人たちの展示を見た。

誰もが自分をアピールしようというストレートな気持ちに溢れ、とても楽しそうで、表現するプロセスに産みの苦しみなどみっともないだけ、と言っている様にも思えた。
そもそも人はなぜ表現をしようと試みるのか。
それは自分の思いを伝えたいからに他ならない。

彼らも自己を表現する方法として作品を作ったのに違いない。
ならば何を伝えようとしていたのか。
制作者の意図はどこにあるのか。
楽しさの蔭に潜んでいるであろう作者自身の個や伝えたいであろうメッセージが見えないのが妙な感覚だった。


思いを人に伝えるのはむずかしい。
言葉で具体的に伝えることで真意が伝わるとは限らない。
日常使われているツールだからこそ誤解をされることも少なくない。
だからこそ、私たちはアートという媒体を通してあえて遠回りする道を選ぶ。

言葉は非力な表現方法なのか。
決してそんなことはないことを前回のトリニテのライヴで経験した。
「1−6」と暫定のタイトルをつけていた曲に「Mother」と名付けたところ、メンバーの演奏がそれまでとは全く違うのだ。
「Mother」というそれぞれが持つ言葉のイメージが、しっかりと演奏に投影されていた。

難しいからこそ、伝わったことを実感できた時の幸福感は何にも代え難いものとなるに違いない。


現在トリニテは、組曲を演奏していくユニットとしてライヴを行っている。
これまでに「The Prayer〜祈り〜」、「月の歴史」二つの組曲が完成し、現在「神々の骨」の楽曲を制作している。

「The Prayer〜祈り〜」には4つの歌詞付きの楽曲がある。
現在のトリニテはインストゥルメントユニットにも関わらず、歌詞がある曲を演奏する時には、ないそれと明らかに異なるモチベーションを感じるし、歌声を聴くことはなくとも、歌詞は間違いなくそこに存在している。

その中のひとつ、「The Dream above the Heavens(天上の夢)」より(原詞は英語)。

 

 神に仕えるべく、人に幸せを授けるため
 天使は、星を拾い集める
 来る日も来る日も
 夢を見ることを許されずに

 そして、ある日気づく
 自分の存在について
 幸せという意味について

 



2010年9月 9日 (木)

【Live】 shezoo×小森慶子×壷井彰久×岡部洋一@inF 10月2日(土) 

Light2_2

現実を揺るがすモアレ音の残像

 「The Prayer〜祈り〜」 「月の歴史」 「神々の骨」



◇shezoo(p)小森慶子 (sax、cl)壷井彰久(vn)岡部洋一(per)◇
日時:10月2日(土) 7時30分スタート
場所:大泉学園 inF(インエフ) 西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分
練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
http://in-f.cocolog-nifty.com/
charge:3,000 円
ご予約・お問合せ:03-3925-6967 /  in-f.sato@nifty.ne.jp
* お席が少ないため、ご来場の際は事前の予約をお願いします。

2010年6月 1日 (火)

【Live】 shezoo×小森慶子×壷井彰久×岡部洋一@inF 6月20日(日) 

Trinite4_2

 2001年に横浜で産声を上げ、オーケストラとの競演に至ったものの、その後休止状態にあったユニット、Trinite(トリニテ)を新しいメンバーを加えて昨年12月に再開した。
そのVol3。

    三位一体を意味するTrinite(トリニテ)

刻々と姿を変える月や様々な顔を持つ細胞、有機的心音の感じられるコンビナート、いくつかのキーワードを織り込んだshezooの世界で絶世のプレイヤー達がそれぞれの色を放って行く。

 「The Prayer〜祈り〜」 「月の歴史」 そして「神々の骨」へ

そして今回は、満を持して「Telomere テロメア」初演。










shezoo(p)小森慶子 (sax、cl)壷井彰久(vn)岡部洋一(per)◇
日 時:6月20日(土) 7時30分スタート
場 所:大泉学園 inF(インエフ) 西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分
         
練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
          http://in-f.cocolog-nifty.com/

          charge:3,000 円
          ご予約・お問合せ:03-3925-6967 /  in-f.sato@nifty.ne.jp

            * お席が少ないため、ご来場の際は事前の予約をお願いします。

 

2010年3月 1日 (月)

【Live】 shezoo×小森慶子×壷井彰久×岡部洋一@inF 3月20日(土) 

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2001年に横浜で産声を上げ、オーケストラとの競演に至ったものの休止。

昨年活動を再開したユニット、Trinite(トリニテ)の2回目のライヴです。


今回は、細胞に視点を置き、「アポトーシス」(自ら命を絶つ細胞)の続編となる新曲「テロメア」を通して、広い宇宙の中で、この星に生まれた命の意味を音で紡いでみたいと思っています。


春がすぐそこまで来ています。





shezoo(p)小森慶子(sax、cl)壷井彰久(vn)岡部洋一(per)◇

日時:3月20日(土) 7時30分スタート

場所:in F(インエフ)

場所:大泉学園 inF(インエフ) 西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分

   練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F

   03-3925-6967

   http://in-f.cocolog-nifty.com/

charge:3,000円

ご予約・お問合せ:03-3925-6967 / in-f.sato@nifty.ne.jp

* お席が少ないため、ご来場の際は事前の予約をお願いします。

2009年12月 3日 (木)

【ライヴ】shezoo×小森慶子×壷井彰久×岡部洋一@inF

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今年もあとひと月、変化に富んだ1年が瞬く間に過ぎて行った気がします。
あなたにとってはどんな1年だったのでしょう。


2001年に横浜で産声を上げ、オーケストラとの競演に至ったものの、その後休止状態にあったユニット、Trinite(トリニテ)を新しいメンバーを加えて今年再開しました。

そのきっかけを作ってくれたのが、今回が2回目となる小森慶子さん、壷井彰久さん、岡部洋一さんとのカルテット。

空白の時間に得た様々な経験や記憶は、「The Prayer」、「月の歴史」に続く3つ目の組曲「神々の骨」に、これまでとは違う何かをたらしてくれているようです。

三位一体を意味するTrinite(トリニテ)

刻々と姿を変える月や様々な顔を持つ細胞、有機的心音の感じられるコンビナート、いくつかのキーワードを織り込んだshezooの世界で絶世のプレイヤー達がそれぞれの色を放っていきます。

そんなライヴを聴きながら、美味しいお酒とともに「2009年」を振り返ってみる。


shezoo(p)小森慶子(sax、cl)壷井彰久(vn)岡部洋一(per)◇

日時:12月13(日)  7時30分スタート
場所:大泉学園 inF(インエフ)  西武池袋線「大泉学園」北口下車徒歩5分
          練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
            03-3925-6967
   http://in-f.cocolog-nifty.com/

charge\3,000円

ご予約・お問合せ:03-3925-6967 / in-f.sato@nifty.ne.jp

* お席が少ないため、ご来場の際は事前の予約をお願いします。

2009年9月 2日 (水)

8月30日のこと

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衆議院選挙とか24時間マラソンとか巨人阪神戦とか…。
そして久しぶりのライヴ。

私個人的には、ずっとお世話になってきたスーパーボーイを卒業して初のライヴでもありました。

本当に盛りだくさんな一日でした。




まあ、選挙は期日前投票に行ったのでおK。

リハが午後4時からということで、若干準備もあったので早めに出ようと、愛車ワゴンRで午後2時過ぎに自宅を出発。

でもって抜け道に入ったとたん、周りに人と車が押し寄せてきました。

そんなこともわからないまま、まったく動かない道路の中でイライラしていたら大勢の人の波とカメラが目の前を通過。

そう。24時間マラソンの休憩所にランナーが入ってくる姿を一目見ようと詰めかけた人たちの波でした。

まさかその場でほぼ1時間動けないとは思わず、じっと耐えていたのですが、結局ランナーが出発するまでは情況が変わらないということを理解しメンバーに連絡。

みんなの励ましを支えに必死にインエフへ向かったわけです。

そしてメンバー全員がスタンばっている中、恐縮しつつリハに参加。

その後もメンバーに色々と助けてもらいつつつ、無事リハを終えました。



私の周りにはなぜかタイガースファンが多いです。
まさかのつぼーいさんも虎ファンとのこと。
私たちが一生懸命ライヴしたからでしょうか、タイガースは巨人に勝ち越しました。
ふうむ。



本題に戻りましょう。
ライヴのこと。

私が言っていいことかどうか、わからないけれど、本当に楽しかったのです。

それは岡部さんがMCの時、笑ってくれたからとか岡部さんの夕食のトンカツを見事言い当てたからとか←ウソウソヽ(´▽`)/

小森さんとは以前頻繁にライヴをでしたが、昨年のライヴが久しぶりでした。
とにかく豊かな音色と音楽性は、自分自身が思わず聴き入ってしまいます。

壷井さんとは1月にデュオをご一緒した時、テクニック、音楽性ともに、その懐の深さに驚愕し、ずっと昔から一緒に演奏して来たような錯覚さえ覚えました。

この二人が、shezooの音楽を深く理解して下さって構築されたのが、今回のユニットの原型となりました。

そこで、以前に別メンバーでのユニット、トリニテが中断していたことを踏まえ、このメンバーを基本として、ぜひトリニテの作品を更に展開して行きたいと思っています。

そこに、実は仲が悪そうで本当はすっごく仲がいい(はずの)岡部さんが、すごい種類のスパイスを振りまいてくれえること、自分が想い描いて来た以上の何かを聴かせてくれる場所がここにあったという驚きを改めて自分自身で感じることのできたライヴでした。

次回は12月13日です。
早めに告知してしまいましょう。


トリニテのことは、ご存知ない方が多いはず。
追って少しずつアップして行かねば。








2009年8月11日 (火)

【ライヴ】 shezoo×小森慶子×壷井彰久×岡部洋一

shezoo(p), 小森慶子(cl,sax),壷井彰久(vn), 岡部洋一(per,dr)
8月30日(日)
会場:大泉学園 inF
開場 18:00 開演 20:00(2セット)
チャージ\3,000
    詳細・ご予約はin Fホームページをご確認下さい
    住所:練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
    TEL:03-3925-6967

    http://homepage2.nifty.com/in-f/

小森慶子さん、壷井彰久さん、岡部洋一さんを迎えてのカルテットやります。
今年の夏は、新曲書きにいそしんでおります。

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2009年4月 3日 (金)

メッセージ

東郷青児美術館に、館勝生の絵を見に行く。

都会のまん中に建つビルの上層階にこんな空間があるということを、なんとも不思議に感じる。


高速エレベーターを降りると、窓の外には厚い雲に覆われた空とかすむ街並みが広がっていた。

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彼は比奈一の名で写真家としても活躍していたという。
大切な友人の日記で彼の存在を知って以来、どうしても彼の作品が見たかった。


友人は、日記の中でこう綴っている。


最後の日記には

油絵の道具・ペインティングナイフの写真。

切り取られた身体という タイトル

比奈一さんの最後の表現とラストメッセージだったのでしょうか。


表現は、死なない。
彼の作品に触れて
そう、思った。


ほとばしる感情の隆起がキャンバスから飛び出し
見る者に向けて叫び続ける。

去年から今年にかけては、二次的、あるいは三次的な立場で音楽を制作をしてきた。
確かに、音楽という表現の特性を持ってすれば、BGMという存在も含めて、音楽を職業にすること、仕事としての成立はその機会の方が多いのも当然だし、コラボレーションという作業は、基本的に孤独な制作の現場では楽しいものでもある。


ずっと以前、何の束縛もなく、日々の想いをすくいあげるたり切り取ったりしながら、詩を作り、メロディーをくちずさみ、曲を書いていたことを思い出す。


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日々、音楽に囲まれて過ごせる幸せを感じながら、たまには誰も触れたことのない真っ白なキャンバスと向き合うことも必要なのかもしれない。

2009年2月 5日 (木)

音楽の正しい答え

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「音楽に勝ち負けはあるのか」
この間の壷井さんとのライヴの後、そのことで盛り上がりました。

例えばソロの時においては、「強い(大きな音)」「早い」「長い」が勝ちパターンなんだそう。
これはあくまでも壷井さんの意見ではなくて、彼がこの世界(ってどこだよヲイヲイ)に入った当初、影響を受けた方から伝授されたとか。
へー、なるほど。

もしソロ回しだけでミュージシャンの資質を問われちゃうなら、私はダメダメだ。
「弱い(小さな音)」「もたもた」「長さはいい加減」
消えてしまいそう。

勝ち負けについてはそんなこんなで(o・ω・)ノ))


さて。
音楽に正解はあるのか?

聴く側にとっては問題にもならないはずだから、好きな音楽が全部正解です。
ロックやポップス、何でも良いです。
自己を表現するものであれば、それはそのまま正解になるはずです。


それでは、2次的な作り手は?
何を考えて作曲しているのだろう?

以前、服部隆之さんのドキュメントで、忙しい彼は音を確認することなく、サクサクと五線紙に♪を書いては写譜屋(手書きの楽譜をスコアやパート譜に書き直してくれる職業)にファックスして仕事をこなすという偉業を見た時、その環境であれだけすばらしい作品を作るということに言葉を失いました。


ここでも自分、ダメじゃん。
ひとつの仕事が来たら、自分のフィルターを通した作品がでてくるまで、何回でも演奏したり聴いたりを繰り返します。
だから、本当にフットワークが悪い。
量が増えれば増えるだけ、時間がかかってしまう。
だって、時間の経過によって感じ方は確実に違ってくる。(注釈*私はです。)
だから、音楽をひな形とかルーティンの作業にはしたくない。
依頼してくれる人たちの気持ちを考えたら、そこに沢山の思いがあって音楽の必要があった訳であり、私に作ってほしいと選択してくれたことをとても大切にせずにはいられなかったりするから。

私たちは毎日、どのフレーズがどうとか、リズムがなんタラと騒いでいるけれど、みんなにとっての音楽ってなんなのだろう。
沢山の人が耳にイヤホンをしているということは、自分だけの世界に浸りたいということに加えて、他の雑音を聴きたくないということもあるのかもしれないのかな。


音楽の正しい答え。


今を楽しくさせてくれる存在であり、背中を押してくれるスイッチであり、過去を思い起こさせてくれる存在であり、なくてはならない存在。
ある時には、決して聴きたくない存在でもあるかもしれない。

答えを問う前に、作り手は、その先にいるであろう沢山の聞き手の前にいる、もうひとつの聞き手に向かって音を伝えていくことにしましょう。

音楽を、頭で書くのではなく、心で書くことができますように。


2009年1月20日 (火)

サクサク曲作る人にはなれない。

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とにかく〆切12時間切ったぞと理解していながら、色々な音いじっている中、ふと行き詰まった瞬間。

昨日のライヴで演奏した壷井さんの「First Greeting」。
ずーっと頭とか右足とか左肩とか、どこかでグルーヴしている。

充実したライヴの後はいつもそう。
新たな作品を作らねばいけないのに、めちゃくちゃひっかかってきて、ずっと残るのだ。

本来ならばとっても嬉しいことなのに、影響力が大きすぎて別の生まれつつあるアイディアに重しをしてくれるのだからどうしよう。これが、書くことが忙しくなると思うとライヴのブッキングを入れたくない理由だとつくづく知らされる。


あ。

以下に描く内容は、勝手なshezooの妄想です。
特に壷井さんのファンの方はてきとうに読み飛ばしてください。


「First Greeting」の設定は4/5と書かれています。
その入り口について。
3+2のリズムとそれにふさわしいとしか思えないコードがつけられている。
このグルーヴがトラデショナルな踊りのステップにあった気がする。
1小節に→123. 12

それからリズムは2小節単位で→3拍子×3回+1拍になる。
そして3小節の中に→3拍子×5回で収まる。

実は最後の3×5にトラップが仕掛けられている。
×4〜5にかけては
「面白いように皆さんドサドサ引っかかる」
らしい。
もちろん私も思いっきりトラップ踏んで心地よし。


で。
何が言いたいのかというと、楽譜をぱっと見で、誰にでも正しく演奏してもらうためには、トラップを踏まないようにグルーヴを拍で割った小節で譜面を作れば良い。

むう。これだけでもわからないですよね。

たとえば、5つのリンゴが入る箱に、3個入と2個入の袋がはいっているとします。
今度は箱3つ(全部で15個のリンゴがはいる)にリンゴを入れる時、↑のように3個と2個の袋が3つあれば簡単に分けられるけれど、たまたま3個入の袋しかなかった。
そこで3個入の袋にリンゴを詰めて、箱同士またがせて入れるみたいなことでしょうか。
なおかつ、箱1にはまたぐリンゴ2個、箱2には箱1とまたぐ1個に加え箱3とまたぐリンゴ1個が入っているところがとっさの判断を鈍らせるのです。

でも、↑には確固たる意味がありました。フレーズとかアーティキュレーションとかも踏まえ、作曲者の意図はとてもよく伝わってきたのだから、この曲の譜割はこうでしかないといたく感動したのであります。


そんな中。記憶がよみがえってきました。
今考えれば、ジャズが4拍子基本の概念によるのかなと思いつつ…。
以前、変拍子が小節をまたぐ意味を感じない、譜面がわかりづらいと言われていたことがあって、ずーっと悩んでいたけれど、自分の中のグルーヴとしては必然性があって、結局書き換えなかった経緯があります。

リズムは、ただ正確に刻むだけが良いのではないはずだし、小節線の大切さを改めて感じています。
拍子と小節は絶対に一致しなくてよい。
そんなこと、ずっと前にわかっていたつもりなのに、「First Greeting」はその美しさとともに、私のモヤモヤした心に爽やかな風を運んでくれました(わはは)。


これまでの記憶が残り、新たに何かを感じられますように。
そして今の私は音に気持ちを注ぎましょう。

2009年1月14日 (水)

「願いに変わりはないのにそれぞれを隔てる言葉」についての考察

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前回のブログ「象のいる星」を書くにあたり、なぜか気になっている事がある。それが妙に残っていて、今も自分の中で燻っている。

たぶん、ビッグイシューとホームレスの事を調べている時に遭遇したホームレスに関わる2つの文がそれだ。


「ビッグイシューは、ホームレスの人の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業です。」

「私たちは、ホームレス状態にある方たちへの法的支援を行うために、結成されたグループです。」

どちらも、ホームレスの人々の力になりたいと活動している貴重な存在であることは紛れもない事実として理解できた。

でも、何かが引っかかる。

何度も読み返してみると、前者が「応援」している事業であり、後者は「支援」している団体だということがわかった。
両者の間には、本当に違いがないのだろうか。


意味を調べてみる。

「応援」 力を貸して助けること。
「支援」 力を貸して助けること。

あれ?同じじゃないか。


別の辞書で更に調べてみる。

「応援」 他人の手助けをすること。
「支援」 他人を支え助けること。 

少し違いが出て来た。

「手助け」と「支え助ける」

大きな違いは感じられない。


類語を調べてみる。

「応援」 支援、声援、後援。
「支援」 応援、援助、後援。

何だ、お互いの言葉も含まれている。


唯一の違いを検証する。

「応援」→「声援」声をかけて元気づかせること。
「支援」→「援助」困っている人に力を貸すこと。


ここで明らかに道が分かれてきた。

運動会で仲間にするのは「応援」であり「支援」ではない。だから、声をかける。
困っている被災者にするのは、往々にして「支援」といわれており「応援」とは表現されない。でももしかすると「応援」しても良いのではないか。
限りなく同義ではあるのに、私にとって「応援」する側とされる側、「支援」する側とされる側の立場の違いが、この二つの言葉の持つ微妙なニュアンスを、居心地悪く感じていたのかもしれない。

現状は、支援する人たちが自分の立場はされる人とは別などと思っていないし、ましてや施しているなんて、これっぽっちも思っていないことはよくわかる。しかも現場の人たちがどれほど骨身を削って日々努力されているのか、我々の想像を遥かに越えるハードなものであるに違いない。

それなのに、なぜ私は違和感を感じてしまったのか。

さらにうがった見方をすれば、前出の「手助け」と「支え助ける」だって、できない相手を助けてやってる的な意味合いを感じなくもないのだ。


言葉って難しい。

2009年1月 1日 (木)

すてきな一年になりますように

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LIVE
壷井彰久(vn)♪shezoo(p)


1月17日(土) @in F (インエフ)
start  8:00pm
charge ¥2,800

練馬区東大泉3-4-19津田ビル3F
03-3925-6967
西武池袋線「大泉学園」北口下車5分

同時にいくつもの音を出せる楽器が慣れっこになっている人間にとって、基本が単旋律という世界は魅力です。


ま、壷井さんは多旋律よりも深い構造で成り立っているに違いないので、もっと魅力的ですけれど。

«時を刻む音

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