« 「宿り木の話」を、あなたの声で 朗読出演者公募のお知らせ | トップページ | 《ヨハネ受難曲2025》始動。響きと対話のために »

2025年5月 4日 (日)

音のない世界と、別の舟

7109f68319d84d1e9688b2ce64fdd944

音のない世界を、わたしはどれだけ想像できるだろうか。

言葉は届く。では、音は? 音楽は?――
聴こえない世界のそばで、「音になりうる別の舟」を探しはじめた記録です。


音のない世界がある。
そこでは、聴くことも、聴こえることも、前提ではない。

私たちは、あたりまえのように
目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、舌で味わっている。
そして五感のうちの4つは「外の世界」から情報を受け取る器官であることに
ふと気づいた。

そのどれかが欠けたとき、
世界はどう感じられるのだろうか。

 

ある本を知った。

『目の見えない精神科医が、見えなくなってわかったこと』
著者の福場将太さんは、視力を徐々に失いながら医師となり、
「視覚創造者」として生きている。

「見えないからこそ、見えるものがある」
その言葉が、静かに何かを揺らした。

 

長くともに暮らす猫が、生まれつき耳が聴こえなかったことを
最近になって知った。
知らずに過ごしてきた時間のこと。
そして、聴こえない世界に対する問いが、
いまも胸の奥に残っている。

 

デフリンピックという国際スポーツ大会がある。
聴覚に障害のある人たちのためのオリンピック。
そこでは音の代わりに光や動きでスタートを伝えるなど、
「聴こえない世界」に即したルールが採用されている。

音が聴こえないというだけで、
世界の前提が変わる。

では、音楽は?

 

私たちはよく、「音楽を聴く」と書く。
「聞く」ではなく、「聴く」。
それは、ただ耳に入ってくる音ではなく、
心を向けて受けとるものだと、信じたいから。

けれど、その「聴く」が前提とされていない場所で、
音楽はどのように届くのだろうか。

 

骨伝導でビートを感じるダンサーの話を聞いたことがある。
けれど、それはすべての音楽に通じる方法ではない。
どれだけ可視化されても、それは作り手のイメージでしかなく、
聴き手の世界とは別のものかもしれない。

音は、目では受け取れない。

そのとき、言葉のことが浮かんできた。

 

ずっと気になっている言葉がある。
「言葉はただの道具じゃない、心を運ぶ舟」

耳で聴こえなくても、言葉は届く。

目で読むこともできるし、触れて感じることもできる。

では、音は?
音楽は?
音を乗せられる舟は、あるのか?

急がずに、
でも勇気を出して探してみることにする。

音そのものではなく、
音になりうる、別の舟を。

Img_8743


 

 

 

« 「宿り木の話」を、あなたの声で 朗読出演者公募のお知らせ | トップページ | 《ヨハネ受難曲2025》始動。響きと対話のために »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「宿り木の話」を、あなたの声で 朗読出演者公募のお知らせ | トップページ | 《ヨハネ受難曲2025》始動。響きと対話のために »