shezooスペシャルユニット 桑野聖・北沢直子・西嶋徹@バッハとピアソラの春祭り2021横浜エアジン
しかしその中身をよく見てみると、恥をかかされたことに対する報復と思われるバッハあるあるの隠された仕掛けあり、あのバッハが即興で演奏できなかったほどトリッキーな、今っぽい半音階のメロディーから広がるフーガの束は、それはそれは魅力的なのです。

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »
おねしょのように
おねしょのように
マタイ受難曲2021が終わっても、結局やらねばならないことがたまっていただけで、むしろ時間はカツカツになってしまったのだけれど、どうしても見たいものは見る。
80+3歳 伊東四朗さんの「みんながらくた」、あまりにも映像が美しくてセリフが架空言語の「異端の鳥」、そして昨日の「おねしょのように」。
あの世のこの世と、記憶と願望と、夢と現実と、嘘と本当と、いったりきたり彷徨う人の心情を言葉で描ききる。
音楽はあくまでも照明や装置と同じように、そこに必要なものとしてある。余計な主張はしないし、囁く時も、大音量の時も言葉を生かし続ける。
ああ、自分の作る音楽の、なんとtoo muchなことよ。
「おねしょのように」の演出も音楽も手がける糸井幸之介さんの、まるで詩のような脚本。普段は音楽に敏感な耳のフィルターをはずして、言葉から情景を思い浮かべる。
あれほどマタイ受難曲2021で聴いていたはずの西田夏奈子さんが放つ言葉は、全く別の響きで全身を駆け抜けていった。
観劇ツアーの最後を予定していたハツビロコウの「かもめ」は中止となった。
ここでは2021もう一人のエァヴンゲリスト、千賀由紀子さんが出演を予定していた。
この一連の流れは、エフをどうしよう、くすりをどうしようと毎晩3人で話しあっていたストーリーの続きを見ているような錯覚に陥ってしまう。
自分自身で決められないことがあったよ、エフ。
マタイ受難曲2021の開催から2週間。豊洲シビックホールで、配信でご観覧くださった皆さまに改めてお礼を申し上げます。そして度重なる延期を経て、緊急事態宣言下にもかかわらず上演できたことは、関係者全員に深く感謝するばかりです。
・
15歳からミュンヘンで過ごした自分がたくさんの音楽と出会う中で、歌手のコレペティ(練習)に付き合い、晩年のカール・リヒターを目の当たりにしながら、その美しさと深さに殴られるようなバッハのマタイ受難曲の存在は特別なものとしてずっと私の中ずっと残っていました。このあまりにも美しく人の心を打つ作品をいつか、今自分の周りにいるジャズや様々な ジャンルのミュージシャンと共に演奏することによって、クラシックのフィールドで上演されるマタイ受難曲ならば一生聴くことはないかもしれない人たちにも、この作品を届けることがで きるのではないかと思い、何年にも渡り試行錯誤しながら進めてきた、草の根のような試みがこのプロジェクトです。
その意味においては、やっとスタートラインに立てたのかもしれないと感じています。
・
作曲を生業とする者にとって、今自分たちが新たに生まれる音楽を伝えたい気持ちがあるにかかわらず、過去の偉大な作品をカバーすることにも拘るのはなぜか。
音楽哲学者、テオドール・アドルノの言葉にこの答えがありました。
「われわれが音楽を理解するのではない。音楽がわれわれを理解するのだ。
作曲家よりも長い生命体としてたましいを持ち、呼吸をして、時代の色を変えて、過去から現代をこえて未来へ行き続ける。
その途中でふと出会った私たちを見据えている。その前に立ち止まったのも何かの縁かと。」(林田直樹「よく聴く、よく観る、よく読む」より)
何世紀にもわたり世界中の私たちを見据えてきたマタイ受難曲は、日本でふと立ち止まり、今、初めてあなたに出会った私たちを見据えながら未来へと生き続けるでしょう。
それでも、ここで縁を与えられた私たちにとっては、大切なできごとになるはずだから。
・
マタイ受難曲2021は2021年3月7日までご視聴いただけます。
https://twitcasting.tv/c:gnmusic/shopcart/49963