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2013年7月28日 (日)

shezoo unit マタイ受難曲@横濱エアジンに来てくださった方に

復活祭が近づくと毎年必ずヴィース教会へ行ってマタイを聴く。何時間かかろうが、どれほど重きを持った作品であろうが、10代後半をミュンヘンで過ごした私にとってマタイの存在は、ごく当たり前のものでした。

あのとき木造の教会に差し込む光の中で聴いた胸の奥深くに響く音を、限られた人たちだけが独り占めしてよいのか。なんとか、今、自分のまわりにいる人たちと共有できないものか。

シニフィアン・シニフィエが、自分が聴きたかった音を聴きたくて作ったバンドであったように、このマタイ受難曲プロジェクトもまた、そんな恣意的願望から始めたものです。わがままに付き合ってくれた今回のメンバー、場所を提供し協力をしてくださったエアジンとうめもとさん、そしてこのライブのために時間を作ってくださったみなさんに心から感謝します。

 

 


実際にライブをするにあたって作品と向き合ううちに、様々な思いと考察が入り交じり、エヴァンゲリストに伝えてほしい言葉として文章を渡しました。

20130727マタイ@エアジン エヴァンゲリストへのふたつの手紙」

シモーヌ・ヴェイユ「時間への恐怖」から

時間は人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という感覚をもたらす源泉である。
厳密にいえば、時間は存在しない(限定としての現在はともかく)。にもかかわらず、私たちはこの時間に隷属する。これが人間の条件である。

(ヴェイユは自己否定としての神を語る。キリストの受難もそのように捉えられている。神から最も離れており、神に立ち戻るのは絶対に不可能なほどの地点にある人のもとに、神が人としてやってきて十字架にかかったということは神の自己否定であるという。)

 

ジョージ・オーウェル「1984」から

時は我々が何もしなくても流れていく。

ただじっとしていても、鼓動と血脈があるよう

ただ生きている。

空をみて、雲は早くも遅くも常に

形を変えて彼方へと消えていく。

何一つ、誰一人、

同じ場所(ところ)で、

同じ思いであるということは不可能だろう。

我々は目の前に写しだされた像を見ては

(無垢なき)観念  を見いだす。

それは外から染められた

しかし内に秘めた 姿なき像である。

それは見えているのだが、

見えていないということと同じかもしれない。

見えないということは

見えているということに等しいかもしれない。

永遠ということは悲観的概念であり、

すべては永遠ではない  ことで永遠を渇望する。

それに気づくのか、気がつかないか

過去を支配するものは 未来をも支配し

今を支配するものは 過去をも支配する

 

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そして 

山崎阿弥による朗読 「滝口修造の死」武満徹 



現時点においては昨日の形であり、音楽的なことも含めて、それがどのように変化するのかは自分でもわかりません。いつの日か、全曲を演奏できる瞬間に向けて作品と静かに対話を続けたいと思います。

その時にはまた、一緒に立ち会ってくださいますことを祈っています。

shezoo

 

 

2013年7月20日 (土)

手に入れたもの

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わたしにとってのトリニテは
当初自分のやりたい作品発表の場だった

それが歳月を経て
現在のメンバーになって4年目の今年
もはやただの音楽ユニットではくくれない
もっと大きな存在になった

誰かと一緒に音楽を作るということの意味を
何十年も音楽をやってきて
理解はしていたはずではあっても
間違いなくはじめて感じながら演奏することを経験している

音楽は決して理屈で善し悪しが決まるものではない
好き嫌いとか、懐かしいからとか
そんなこととは関係なく心に響く音楽の存在
予測はできなくても理由がかならずあることを教えられたんだ

生きていく上にまつわるさまざまなこと
嬉しいこと、悲しいこと
こわいものなしのとき、うまくいかないとき
たくさんのことが
ちっぽけな自分の周りを渦のように流れてゆく

油で真っ黒に染まった湾岸戦争の海を渡る鳥に
ゆっくりと津波に呑み込まれていく大槌町の町並みに
頭の中では砂漠の狐が、DiesIraeが鳴っていた


体制に対してたった1票の紙しか与えられていないならば
声をあげられない残りのエネルギーを音に託したい
楽譜に込められた思いはプレイヤーの演奏を通して
何倍にも増幅されて聴く人のもとへ届けられる
そしていつしか、それを人任せにしていた


京都での出来事は感動したからでも感極まってのことでもない
それは、自分が書いたメロディーをどんな状況でも大切に
本当に大切に演奏しているメンバーに対して
何もできていない自分のふがいなさへの自責の念から

もう遅すぎるかもしれない
でもせめて、これから先は一緒に歌っていくことに決めた
あと何回ライブができるのだろう
だれにもわからないことだけれど
自分にできることを全部する
そんな当たり前のことに気づいた



今回のツアーでわたしは
大切なものをたくさん手に入れて
大切なものをひとつ失った
 

2013年7月19日 (金)

5Days『ライブハウスのJ.S.バッハ』 Shezooシズ(pf) unit {マタイ受難曲}@横浜エアジン

普通の人による普通の人のためのバッハマタイ受難曲をやってみる日。




注意)このライブはマタイ受難曲をそのままやるわけではありません。


もし全曲を原曲のまま聴きたいという方にはごめんなさい。これは違います。

普通の歌手が歌うアリアを中心に、マタイの中で語られるテーマをクローズアップしながら、

マタイ受難曲とは何であるかを知ってもらうライブです。


いずれ訪れる全貌へ向けて、今後展開していく様々な切り口からマタイを知るコンテンツへの最初の一歩と位置づけています。

 



5Days『ライブハウスのJ.S.バッハ』@エアジン

2013年7月27(土)  Shezooシズ(pf) unit 普通の歌手による普通の人のためのマタイ受難曲


[編曲、訳・脚本、ピアノ、synth]shezoo

[エヴァンゲリスト]山崎阿弥

[歌手]Coco(Die Milch)/ CHINO/ 松岡恭子 / 輿 美咲

[ソリスト]flute:中瀬香寿子 / violin:Jasmine(DieMilch)

横浜エアジンwww.yokohama-airegin.com  tel.045-641-9191

open19:00live19:30   charge¥2500+drink(¥500)

U23¥1500+D 高¥1000+D 中学生以下ペットも無料(Drikn代¥500のみ)

2013年7月 1日 (月)

シニフィアン・シニフィエのライブ@インエフに来てくださった方へ

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ずっと聴きたかったものが音となって立ち上がってゆく瞬間に出会えたたことは、この妖しげなライブに場所を提供し応援してくださったインエフの佐藤さん、めちゃくちゃなこと満載の楽譜と要求にも関わらずすばらしい閃きと演奏で応じてくれたメンバー、そして海のものとも山のものともわからない、もしかしたらパンかもしれないといううわさまで飛び交ったシニフィアン・シニフィエのライブに、勇気を持って踏み込んで下さったみなさんのお陰です。本当にありがとうございます。

コンセプトは「現代音楽のカバーをするライブ」ですが、それはたぶん自分が聴きたかったものであり、聴きたくても存在しないからやってしまえという乱暴な発想がきっかけでした。これっきりになるだろうという覚悟で臨んだものの、頂いた拍手が続けてもいいよというふうに都合良く聞こえたり、終わった瞬間から次にやりたいことが堰をきったようにだーっと溢れてきたりして、脳内ではすでに次回の準備がはじまっています。

それがいつになるのかはまったく未定ですが、その時にはまた、シニフィアン・シニフィエの音楽が生まれる現場に一緒に立ち会ってくださいますことを祈っています。

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