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2013年6月 2日 (日)

ひまとたいくつは違う

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音楽が時間に支配されている以上、音楽を聴いてもらうということは、その人の時間をもらうということである。

人生は有限のものであるから、その中の大切な一部を見ず知らずの私のために切り取って下さい、と言えるのか。
音楽は心を豊かにするから、なくてはならないものだから、痛みをいやしてくれるものだから、好きだから、そんな面倒なことを考えること自体が無意味であるし、そんなことを考えているような音楽ならよけい聴きたくなくなると言われる。
でもそんな特効薬のような存在の音楽は、その人にとっての薬となるのであって、ひとたび自分には合わない薬を飲まされたとしたならば、どうなるのか。逆効果になって、毒と化してはしまわないのか。
だからといって、自分を否定して自分に反する音楽を作ることなんて、もっと意味がない。

多様化した現代において、誰もが音楽を発信する権利を有し、行われるライブの数は半端でない。プロと言われる人の音楽がすぐれているわけでも、優れている音楽がいい音楽でも、いい音楽が自分が必要としている音楽でもないとしたならば、わたしはいったいどう音楽と向き合っていけばいいのか。
そんなにマーケットの大きな音楽じゃないんだから、やれるときにやって、聴きたい人が聴きにくればいいじゃない、という意見はもっともだし、それ以上考えることも語ることも所詮大海に一石を投じるだけにすぎない。そんなことはよくわかっている。

音楽は博打だ。最後の最後まで、つまり聴き終えるまでは天国か地獄かわからない。
博打なんだから外れても仕方がないと割り切っているならば、ジャケ買いして外れても、付き合いでいくライブで自分にはつまらない音楽を聴かされて無駄に時間を費やしたところで文句はいうまい。
そして商品のパッケージを全部開けて中身を確かめることはできないのだから、まだふたの開いていない商品の中に、自分が求めている音楽があったとしても。そのふたを開けることのできないまま、一生を終える。
そんなことだけでいいのか。もっと何かできないのか。


シモーヌ・ヴェイユ「時間への恐怖」から
時間は人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という感覚をもたらす源泉である。
厳密にいえば、時間は存在しない(限定としての現在はともかく)。にもかかわらず、私たちはこの時間に隷属する。これが人間の条件である。


その時間に従属する音楽は人を幸せにし、さらにその音楽に従属する私は時間と音楽の狭間で立ち往生したり右往左往する。






あとがき
ものすごく混沌とした頭で書いている文章なので、後で読んだらいたたまれなくなってすぐに消しちゃうと思う。
ま、読んでいる人もいないだろうからいいや。

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コメント

シズさん
苦しそうですね・・・。
改めて真剣に取り組んでおられるのだなあ~
と感じて、重たいですけど、嬉しいです。

シズさんの事ではありませんが、何かの音楽をきいて不快になったこともありますし、CDやFMで耳触りと感じて消すこともありますが
それはそれで自己確認と言う意味で無駄じゃないし、時間を奪われたと感じたことはありませんね・・・。
何か不快だと思いながら「どうして嫌なのかな?」って敢えて最後まで聴いたこともあったと思います。結局わからないんですけど。

私はアートや音楽に何かを期待して臨むことはあまりなくて、なるべくニュートラルな状態で接して、そこで何か閃くものがあると「ああ~よかった!」って初めて思います。
煮詰まった気分の時に確かに特効薬的に気持ちが救われることも度々です。漠然とそういうものを期待しているといえばしているかもしれませんね。

今の私はシズさんの音楽好きです。
でも20年前なら聞き流したかもしれませんし、またここから先の事はわかりません。
どこかからやってきて、どこかで交差して、またどこかへ行くんでしょう。

まだライブは自由に聴きに行けませんがやはり今、私の時間とシズさんの時間(音楽)とが交差してるのかな・・・と思うと何かうれしい❤

シズさんのなかから湧き上がるものを淡々と紡ぎ出して下さるだけでいいと思ってしまうんですが、それだけではシズさんの世界は成立しないのかな・・・。

私は個人的な趣味では、眼で見るアートにしても、あまり思想やメッセージを盛り込んだのはどうも中に入ってこないんです。(ぼーっと見ているからかも)
側において楽しんだり大切にしたり味わったりするものとは別だと思っていて、やっぱり求めていないからでしょうね。
シズさんの音楽は私のようなものにも、もっと何か求めている人にも
応えてくれる美しくも奥深いものだと感じています。

私は無責任な聴き手で、的外れなコメントになっているかもしれませんが、思ったことをダラダラと書いてしまいました。


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