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2013年4月26日 (金)

the very voice of silence

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ずっと長い間、音楽といい加減につきあってきた自分にとって
音楽と真摯に向き合っている黒田さんは眩しい存在であり
いつもすごいなあ、すばらしいなあと思ってきた

その気持ちはこのアルバムを聴いた今も変わらないし
自分に厳しく奏でられるひとつひとつの音が
彼女のものすごさを語っている


黒田さんにとって音楽とは
どんな存在なのか
生きている証、自分、そのものなんだろうか

めんどくさいとか、いい加減でいいやとか
そんなことを考えて弾いちゃったことはないんだろうか


もしかしたらあったのかもしれない

あんなこともそんなことも
すべてが自分であり、それが音楽だとしたら
それが黒田京子の世界なんだ
そう教えてくれたアルバムなんだと思う



途中でふっと流れた涙を
だめ、shezooちゃん、泣いたらだめ
そう諌められてアルバムは終わるんだけど
聴き終わった後に、なんともいえない嬉しい気持ちになる






追記:
「このアルバムは、私がピアノの無垢な響きを精一杯作り、音楽家・黒田京子が音を紡いだ記録である。」
黒田さんの活動に随所で携わってきた調律の辻さんは
ライナーノーツに、こう綴っている

音楽は決して夢の世界を演出するだけのものではなくて
人と人との思いを描くドキュメントであり
まさしく記録なんだ

あー黒田京子はやっぱりすごい








                   黒田京子 『沈黙の声 the very voice of silence』
                  

2013年4月23日 (火)

見透かされる音楽

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岡部さんはわたしがキライだ。
聞いたことはないけれど、たぶんまちがいない。
その証拠に、トリニテがそれほど頻繁にライブをやる集団ではないにもかかわらず、会うたびに「早く全部録音して解散しましょうよ。」という。

一応トリニテのメンバーである(はずの)岡部さんは楽譜を持ち帰らない。
あるライブで、キーボードが別の場所に搬送されてしまってセッティングに時間がない中、私の準備不足で岡部さんに楽譜を渡せないままライブが始まったことがあった。その時、メモリーにもかかわらず何の損傷もなく、もしかしたら普段以上に凄い演奏してくれた。そんな時おめでたい私は、岡部さんはこんなにも私のこと、トリニテの音楽を愛してくれているんだと思ってすごく幸せな気分になる。でも本当はトリニテがライブでやる音楽なんて、それほど特別な展開はないし、当たり前のことを普通にやっているその結果、というだけのことなんだけど。

岡部洋一とは何者なのか。
昭和37年1月12日生まれ、A型山羊座。高校時代からパーカッションの演奏を始める。大学在学中にブラジル音楽と出会い、卒業前からプロとしての活動を開始。ブラジリアンレストランでしばらく演奏したのち、いきなりおニャン子クラブの全国ツアーに参加。その後アイドル歌手のバックを多数つとめる。それとともにさまざまなジャンルのアーティストと共演するようになる。ジャズ系、ロック系のコンサートやライブハウスへの出演が増え、また来日ブラジル人ミュージシャンとの共演も多い。もともと好きだったアバンギャルドな音楽を演奏する機会も多くなり、最近はどんどん深みにはまってゆく日々を過ごしている。現在、トランスロックバンドとしてコアなファンをもつ「ROVO」や、「ボンデージ・フルーツ」、また16人編成のロックバンド、「ザ・スリル」のメンバーでもある。おもな共演アーティストは、バーデン・パウエル、大貫妙子、ショーロ・クラブ、向井繁春、小野リサ、村田陽一、溝口肇、中西俊博、井上鑑、epo、酒井俊、城戸夕果、ホッピー神山、角松敏生等々、枚挙に暇なし。いま、もっとも便利につかえる インチキパーカッショニストのひとりである 。

このプロフィールは2001年ウエブサイトに掲載された。
「便利な存在」とうたっているだけあって、これらは氷山のほんの一角に過ぎない。とてつもなくたくさんの音楽シーンに関わり、活躍をしてきたであろうこの年、ほぼ1人で完結したリーダーアルバム「Satiation」をリリースしている。 Satiationって飽食という意味らしい。なに?みんなに使われて飽き飽きしてるってこと?まさか。でもありとあらゆる音楽をてんこもりに食わされて来たタイコ人生を思えばむしろ納得のタイトルだったりする。

優れたパーカッショニストが時間軸に長けていることは言うまでもないが、実は音程や倍音だけでなくメロディーやハーモニーの感覚にも非凡なのだ。岡部洋一がただリズムを刻むだけのパーカッショニストではないことはだれもが知っていること。このアルバムにはそれを裏付ける世界が広がり、そこには明らかにひとりの作曲家の姿があった。

作品の全体像が見えないスタジオでひたすらたいこを叩き、ミュージシャンの後ろでライブを支える人間が何を考えていたのか。何度も聴く度に頭をよぎるのは、自分の作品を支えてくれているときも、どこか本質を見透かされていたのではないのかということ。さらには、それもこれも全部をひっくるめて、あらゆるシーンにおいて音楽を魅力的にする魔法をかけていたんではないかと。



その後もかくして岡部さんは常に引っ張りだこで、フォアグラのごとく栄養満点の音楽をわんさか食べさせられて今日に至っている。しかも陰に隠れて自分でも色々な音楽を食べているらしい。
あれから10年以上たった今、彼の頭の中ではどんな音楽が響いているのか。聴いてみたいと思うのは、わたしだけではないはず。

お墓にはCD持っていけないからもう作らない、という。そんなこと言わないで作ってくれないかな。絶対に3枚は買うから。

でもこんなブログ書いたら、もっと岡部さんに嫌われちゃうんだろうし…。






岡部洋一webサイト http://donna-oto.com/okabe/

おまけ 2013年4月23日現在のオフィシャルプロフィール(たぶん) 1962年生まれ。 高校時代からパーカッションの演奏を始める。 大学在学中にブラジル音楽と出会い、卒業前からプロとしての活動を開始。ブラジリアンレストランでしばらく演奏したのち、いきなりおニャン子クラブの全国ツアーに参加。その後アイドル歌手のバックを多数つとめる。それとともにさまざまなジャンルのアーティストと共演するようになる。ジャズ系、ロック系のコンサートやライブハウスへの出演が増え、また来日ブラジル人ミュージシャンとの共演も多い。 もともと好きだったアバンギャルドな音楽を演奏する機会も多くなり、最近はどんどん深みにはまってゆく日々を過ごしている。 現在、トランスロックバンドとしてコアなファンをもつ「ROVO」や、「ボンデージ・フルーツ」、また16人編成のロックバンド、「ザ・スリル」のメンバーでもある。 おもな共演アーティストは、バーデン・パウエル、大貫妙子、ショーロ・クラブ、向井滋春、小野リサ、村田陽一、溝口肇、中西俊博、井上鑑、epo、酒井俊、城戸夕果、ホッピー神山、角松敏生等々。 2001年、初のリーダーアルバム「SATIATION」を、2007年にはソロ・パフォーマンスを収めた「感覚の地平線」をリリース。アグレッシブなプレイで心に火をつけるアーティスティックな打楽器奏者である。 

2013年4月 9日 (火)

3つのライブ

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今年はとにかくライブをすることに決めた。
でもたくさんはしない。

3月の二人の歌手との楽しかったライブを経て、自分と向き合うライブがはじまる。





shezoo pianosolo「夜の音楽」@渋谷・公園通りクラシックス 2013/4/19 fri

夜の闇に潜む存在に
そっと灯りを照らしてみる
やがて少しずつ語り始める
夜の音楽






トリニテ「Triniteスピンオフ」@六本木・音楽実験室 新世界 2013/5/10 fri

テーマごとに作られた作品群を組曲としてレパートリーとするトリニテ
ここではふだん聴くことのできないナンバー、たとえば ふたつの月「Moons」
そして組曲「prayer」には別の顔を




シニフィアン・シニフィエ@大泉学園・インエフ 2013/6/29 sat

シニフィアンとシニフィエ、哲学に由来する不思議な響き
何が訪れるのか、今はただ呪文を唱えて見守るだけ









トリニテWebSite http://trinite.me/

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2013年4月 5日 (金)

音楽が生まれるとき

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音楽が生まれるとき
すごく疲れる。

考えたいときに、頭の中で音が聞こえているとき、ちがう音楽が外でなっているとあたまが狂いそうになる。
そんな時は考えるのをやめる。

逆にやりたくない作業をしなければいけない時、例えば洗濯物をたたむ。私の中で何も生み出さないこの動作がとんでもなく苦痛だ。
だからその時はいつもトークかスポーツ中継のストリーミングを大音量でつけっぱなしにする。
頭の中で何もならないように何も考えないように頭を麻痺させるように、耳から音を入れて耳から出す。



作曲家にとって聴力を失うことは致命傷だという。
聞こえないことは致命傷なんだろうか。
私には聴力があるから、それがわからない。
でも頭の中で聞こえている音楽は
頭の中でなっているのだから
その音を楽譜に書き写す作業に聴力はいらない。



音を生む人のメカニズムとして
武満徹の言葉を思い出した。
「曲の題名が決まれば三分の二は書けた気になる。」

作曲は芸術であるのか
有元利夫の言葉を思い出した。
「芸術とは、内なる天賦の才能を爆発させるのではなく、郵便や夕刊が配達されるように、ひっそり待っていると訪れるもの」


普段の作曲の作業といえば、自分の中、または周りか近く、もしかしたらちょっと離れたところに川が流れていて、必要な水が決まったらそこへ汲みにいく。
そんな感じ。
水を汲みにいく労力と、どこにいけばいいかの判断に集中する時間を経て
やっぱり疲れる。
でも苦しくはない。

もっと苦しんで作曲しないと人に感動を与える音楽を生める日は遠いのかもしれない。

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