ふたつのインスタレーションライブがもたらしたもの
2011年
神戸では音に反応するアート作品、BrilliantNoise(by oxoxo)と共に、
川崎では美術館内に降り注ぐやわらかな光の中で、
ふたつのアートの場に音が溶け合うインスタレーションライブを行った。
「輝きを揺らすもの〜存在の不確かさ」
神戸の高架下のスペースで頭上を電車が行き交い
外の車が走り去るたびに白熱電球が危うい光を放っては消えて行く。
「自然の光を揺らすもの〜存在の確かさ」
等々力緑地に囲まれた川崎市市民ミュージアムには
12月とは思えないほどあたたかな日差しがさしこみ、
家族連れが楽しそうに日曜日の午後を過ごしていた。
共に出入りが自由なオープンスペースでのライブであり
ライブハウスやコンサートホールとは違って
様々な生活音が交叉する中、音楽は始まる。
神戸のライブの後、ブログにこんなことを書いていた。
「音楽を受信するアンテナが耳だけではなくて、視覚、触角、今回自ら学んだ嗅覚も、もしかするとさらなる可能性もあるのかもしれない。」(BrilliantNoiseライブ そして砂女)
ほとんどの人が初めて聴く音楽だったに違いない。
そこにあった音楽。(YouTube)
BrilliantNoiseでは音の静寂さは闇を招くことを意味し
不確かな存在が消えてしまわないように
聴き手が暗闇とノイズの向こうにある音楽を必死に聴こうとしているのが伝わってきた。
午後の美術館に溢れる光は 神戸の時とは比べ物にならないほど
満ち溢れていた。
この試みを通して、音楽は何かを伝えられたのだろうか。
充分すぎるほどに降り注ぐ光は あまりにも心地良かった。
それは今置かれている存在の意味を確かめる力を奪うことにもなることを学んだ。
光=目で見えることがもたらす力を過信してはいけない
インスタレーションライブ
理由を持って与えられた空間で聴く音楽によって
聴き手に自分の存在を考えるきっかけを作るということを
これからも提案していく。




