« IRISH JAZZ CAFE サラヴァ東京 | トップページ | 存在の不確かさ »

2011年7月24日 (日)

イノチの所在

Photo_3


15才の私に、ハンス-ゲオルグは言った。

「シズ、原子力は原爆と違ってこわいものではないんだよ。」

「原爆の子」という詩集こだわり続けた私に、彼が繰り返し伝えたこと。

そうなんだ。

ハンス-ゲオルグはドイツの原子力科学者で、東海村でも働いていた。


震災のあとから色んなことを考えているのは私だけではなくて
あの瞬間から、鏡の向こうの世界とこちらとが
入れ替わったんではないか、
そう感じているのはおちまさとさんのブログで知った。

6月、子供の頃にピアノを習っていた先生の葬儀に行った。
80才を越えていたことから、周りからは大往生という声が聞かれた。

大往生とは。
少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。
また、りっぱな死に方。

先生の様に、充分生きる時間を全うしたであろう年齢の方に
「大往生」という言葉が与えられるんだ。

りっぱな死に方。

死に方によって、命の価値は変わるのか?
ずっと頭の中でぐるぐるしている。

つまり、この震災で無念に巻き込まれ、死んで行った人たちは、
苦しみ無念を残し死んで行った人たちはりっぱではなかったのか。

未だ自分の身体すら見つけてもらえない人たちは
どんな死に方なんだ。

避難地域に残された牛たちは
ゆらゆらと町をさまよい
いなわらを夢見て死んで行った。


いなわらを与えられた牛たちは
えさが汚染されていることも知らないまま
と殺されたにもかかわらず
食としての命を遂げられないまま廃棄されて行った。


放射線量が多いからという理由で、
採取されないまま土に残ってしまったほうれん草は放置され、
出荷される事なく畑に死ぬ。


私はどうなんだ。

冷蔵庫に忘れら干涸びた野菜は。
消費期限が過ぎてしまった肉を。

捨ててしまったことはないのか。


命はどこにあるんだろう。

« IRISH JAZZ CAFE サラヴァ東京 | トップページ | 存在の不確かさ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: イノチの所在:

« IRISH JAZZ CAFE サラヴァ東京 | トップページ | 存在の不確かさ »