目に見えない表現
アーティスト志望の人たちの展示を見た。
誰もが自分をアピールしようというストレートな気持ちに溢れ、とても楽しそうで、表現するプロセスに産みの苦しみなどみっともないだけ、と言っている様にも思えた。
そもそも人はなぜ表現をしようと試みるのか。
それは自分の思いを伝えたいからに他ならない。
彼らも自己を表現する方法として作品を作ったのに違いない。
ならば何を伝えようとしていたのか。
制作者の意図はどこにあるのか。
楽しさの蔭に潜んでいるであろう作者自身の個や伝えたいであろうメッセージが見えないのが妙な感覚だった。
思いを人に伝えるのはむずかしい。
言葉で具体的に伝えることで真意が伝わるとは限らない。
日常使われているツールだからこそ誤解をされることも少なくない。
だからこそ、私たちはアートという媒体を通してあえて遠回りする道を選ぶ。
言葉は非力な表現方法なのか。
決してそんなことはないことを前回のトリニテのライヴで経験した。
「1−6」と暫定のタイトルをつけていた曲に「Mother」と名付けたところ、メンバーの演奏がそれまでとは全く違うのだ。
「Mother」というそれぞれが持つ言葉のイメージが、しっかりと演奏に投影されていた。
難しいからこそ、伝わったことを実感できた時の幸福感は何にも代え難いものとなるに違いない。
現在トリニテは、組曲を演奏していくユニットとしてライヴを行っている。
これまでに「The Prayer〜祈り〜」、「月の歴史」二つの組曲が完成し、現在「神々の骨」の楽曲を制作している。
「The Prayer〜祈り〜」には4つの歌詞付きの楽曲がある。
現在のトリニテはインストゥルメントユニットにも関わらず、歌詞がある曲を演奏する時には、ないそれと明らかに異なるモチベーションを感じるし、歌声を聴くことはなくとも、歌詞は間違いなくそこに存在している。
その中のひとつ、「The Dream above the Heavens(天上の夢)」より(原詞は英語)。
神に仕えるべく、人に幸せを授けるため
天使は、星を拾い集める
来る日も来る日も
夢を見ることを許されずに
そして、ある日気づく
自分の存在について
幸せという意味について
