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2008年10月28日 (火)

間の極意

Nec_0159少し前のこと。

夜中にザッピングしていたら、「ラ・フォル・ジュルネ」のルポ的番組をやっていた。
本当は北京オリンピックの番組を探していたはずなのに、気が付いたらこっちを見ていた。
私はそれほど熱心に音楽番組をチェックする方ではない。どちらかというと、作曲をしている時であればなおのこと、イメージや感覚が拡散したり何かに似通ってしまうことを懸念して、かなり選んで見るようにしている。
だからその時はあまり意識しなかったけれど、こんな風に無意識のうち音楽番組に引きずり込まれる事はとてもめずらしい。

「ラ・フォル・ジュルネ」は、「一流のミュージシャンを低料金で提供することによって、明日のクラシックを支える新しい聴衆を育てたい」という芸術監督の願いから、多くのスポンサーの協力のもとフランスのナントで毎年行われている音楽のイベント。メイン会場を中心に大小様々なホールで、世界的なミュージャン招聘しながらも比較的安価で気軽に聴けるコンサートが町をあげて繰り広げられる。
この成功を受けて、世界各地で、その国や都市ならではの「ラ・フォル・ジュルネ」が展開されている。

この時は、そのひとつとして東京で行われたコンサートの様子が流れていた。ウェーベルンがアレンジしたシューベルトのドイツ舞曲。ずいぶん昔に聴いたような気もするが、記憶が定かでない。
シューベルトのメロディーの美しさは語る迄もない。それにも増して、ウェーベルンがこんなにやさしい世界を持っていることに驚いた。
でもそれは、私を巻き込んだ真の理由ではなかったと思う。

小さな曲と曲の間に訪れるに音のない時間、そこに演奏者と聴く側が共に感じたであろう何かが生まれていた。息使い、いや脈拍さえも存在していた。その時の無音の時間は、私にとってあまりに心地よいものであった。



通常、映画に音楽を付ける場合、すでにストーリーは存在している。私が関わった作品は、少なくともそうだった。シナリオを読み、コンテやラッシュを見ては、監督の意向を考慮し、完成形を予想しながら音楽を作っていく。

でもそこには台詞やシーンの説明はあっても、「間」についてはどこを探しても書かれていない。
もちろん音楽満載を望む監督がいることも事実だから、それがすべてとは言えないけれど。

ハリウッド映画で育った私は、長い間日本映画の良さを理解することが難しかった。芝居であってもカメラワークであっても、無の存在、無からの表現方法で受け手に伝える手法を感じるためには、時間が必要だった。


「スカイ・クロラ」が、アニメにおいては難しいであろう効果音のみのサイレントの部分を随所にちりばめていて、その美しさに大変感動し、驚いた。

ひとつひとつの事柄が、間への考察を誘う。

そんな中、単館系の邦画を浴びるほど見た。

音楽。本当に少ない。
音に溢れて生まれ育ったはずの世代からの発信が、これほどまで研ぎすまされているんだ。

無が語るもの。

今年の春、篠原哲雄監督からワークショップから生まれた短篇「悪意」のオファーをもらった。

作品の映像は、すでにでき上がっていて、その映像を元に最初のキャッチボールの後、篠原監督からはどこに音楽を入れたらいいと思うか?という質問をされた。
当時、女性アカペラグループ、アウラの為に「アヴェマリア」のアレンジをしている最中だったので、悪意の表現と相まって何とも混沌とした時間を費やして。

そして自分で入れるならここ、という2カ所を見つけた。

結果がどうなったか、読んでくださった方はぜひご自分で確かめてくださいまし。



東京では盛況の中、既に上映が終わっています。
関西の方はラッキーですのでぜひ。
http://www.movie-plus1.com/shinohara.htm


2008年10月24日 (金)

ほんとうの気持ち

Nec_0114 ケンウッドショウルームで行われるライブの打ち合せで有楽町へ。

この日はびっくりするほど道がスムーズ。お天気もいいし、晴れやかな気持ちで高速を降りると、桜田門付近が妙に込みあって雑然としていて、法務省の前には沢山の報道陣が車を待っている様子で車道に出ている。何だろう。ニュースをチェック。そうか、朝青龍が裁判の証人にくるんだ。

実は結構裁判の傍聴とかが好きだったりする。難しい司法や法曹界のことは一切わからないけれど、阿曽山大噴火の「被告人、前へ」や「気分はもう、裁判長」(北尾トロ著)などを読んだことがきっかけだったかもしれない。
喧嘩ごしで罵りあうケースもあれば、最初から原告と被告が互いに打合せていたような穏やかな裁判もある。何だかドラマを見ているよう。いったい裁判て何なのか(σ゜д゜)σ?

最近はなかなか時間がとれずにいるけれど、よく傍聴に行っていた頃は、人の数だけそれぞれの人生があるのだということをつくづく思い知らされた。
人は皆、価値観も考え方も違う。自分と同じではない人が存在する以上、そして己の権利を主張しようとすれば、そこには諍いが生じる。裁判という制度は、それを第三者に判断してもらう事で中立的な答えを得ようとすることなのか?

それがたとえ正当な理由であったとしても、下された結果が関わった人間にとって必ずしも納得のいく内容であるとは限らない。結局は人間のする事に変わりはない。敗者に不満は残る。
だったらいっそのこと、判例を全部入力して、コンピューターに委ねた方がいいんじゃないですか?
これはいまどきの子、アシスタントの意見。
まさか大岡越前の裁量を今日に求めるわけではないけれど、たとえ現実味はなくとも、それもひとつの考え方なのか。


そんな中、来年からは刑事裁判において裁判員制度が実施されるという。私が見聞きしてきたのは、あくまでも民事だから、当事者は真剣そのものであっても、傍から見ればドタバタ劇のようなケースも多かった。でも刑事となれば話は別だ。人の生死を左右する事もあるだろう。自分がその立場にあった時、果たして正しい判断ができるのか?迷う心の中、身近な人たちに秘密の保守が本当にできるのか?


ぐるりのことを見ながら思った事>>>

裁判の審議に関する推移を客観的に判断するためには、それなりの時間と経験が必要であるということ。

そして。
自分の気持ちこそが、自分自身ですらわかっているのかどうか、わからないということ。



2008年10月23日 (木)

ブログを休んだ暁の初っぱなは

Nec_0112_3

わたしは氷川きよしに似てるという事実を受け止めた瞬間。

どれだけ言われて来た事か。

「きよしとこの夜」を見たら、塚本高史が出ていました。

二人がそれぞれの顔の話しをし始めたぞ。

塚本はイケメンです。
間違いない。


氷川は?

立ち方、話し方、何だか河童っぽいではないか!

ファンから見たら可愛いのかもしれないけど、
いわゆるいい男ではない分、愛されるポイントが多い気がする。




やっぱり似てる。
困ったな。

誕生日も一緒だし。




よし。

ブログ復帰。
おK。




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