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2008年9月16日 (火)

eyes and ears

eyes and <br />
 ears


shezooソロ・ピアノ コンサート
- eyes and ears -

日  時 9月19日(金)
1回目 13:30〜14:10
2回目 15:00〜15:40
場  所 築地新店5階 space 会
出  演 shezoo
定  員 各回40名様
チケット代 1,000円(喫茶券付)
お問い合わせ 03-3542-2336(築地新店・茶の実倶楽部)
http://www.uogashi-meicha.co.jp/shop_02.html

・演奏の前 または後に お茶を一服どうぞ。 


目と耳がインスパイアされた瞬間を切り取り、自ら撮影した写真とともに書き下ろした曲、そして霧島留美子の絵画とのコラボレーション「nature circle」。これら要素を織り混ぜながら、それぞれのステージで異なる2つの世界を描いてみたいと思います。


また茶の実倶楽部では、とてもおいしい「うおがし銘茶」のお茶を出してくださるのですが、さらにお茶空間で、おいしいお茶の入れ方も伝授してくれます。

おだやかに時の流れる空間で、午後のひとときを。


2008年9月 9日 (火)

夜空に月を愛でる

夜空に月を愛でる
あたりまえのことが、これほど懐かしく感じられるなんて。
誰が想像しただろう。

夕焼けで、地平線がほんのりと赤く染まる時。
空には、ひとちぎりの雲もない。

見慣れていた風景に、「ありがとう」と思う自分が気恥ずかしい。

今日の月は月齢9。
右側が映る半月。

決して立派な月ではない。

でも私にはダイアモンドに見えたんだ。

自分の目に何を焼き付けたのか。

映像を沸き立たせる音楽とは。

耳と目が感じた、その先にあるもの。


ひとつ年下の私へ

ひとつ年下の私へ
存在自体を日常の仕事で忘れてしまうことが多かった近年には珍しく、今年の誕生日はたくさんのメッセージとプレゼントが届く。

その多くに気付いたのは、日付の変わってからのこと。
気に掛けてくださった方々に心から感謝。


今年はこの日限定のスケジュールが入っていなかったこともあり、夕方から仕事を投げて車に乗り込んだ。


しばしば霧に霞むという理由から「霧が浜」と名付けられ、いつしか「君ヶ浜」と名を変えた辺りに向かう。


この日もその名にふさわしく、海に、港に、霞が漂っていた。

ふと霧が晴れた瞬間、巨大なテトラポットが目の前に並ぶ。
気が付けば、防波堤にもテトラポットの壁が連なっている。


この地の路面電車は、何年か前、廃線寸前まで追い込まれながら名産品が話題となり、九死に一生を得たんだっけ。

そして今度は、自治体が経営難から、市民病院の存続を断念する決定を下したとも聞いた。

そんなことが頭をよぎり、すぐに消えていった。

どのくらい時間が経ったのだろう。
私は、ただぼうっと海を見ていた。

そんな誕生日。

2008年9月 5日 (金)

誉めるのススメ

誉めるのススメ

「自分で自分を誉めてあげたい」

このフレーズに初めてインパクトを覚えたのはマラソンの有森裕子のコメントでした。
あの時のその言葉はとても新鮮で、彼女の謙虚さと頑張りがうまくマッチして、心を打ったものです。



それからこのフレーズ発する人が急激に増えた気がします。


もちろんそれが自分自身へのエールとして、応援歌の様に反芻する分には、むしろ良い処方と考えたりするわけですが。



でもひとたび、その発信先が外へ向かう時には、結構ぎりぎりの表現なのかもしれません。

余裕があったりしたら果てしなくイヤミに聞こえるし、充分に頑張っていないと世間が判断した場合には自分を甘やかしているだけと捉えられる。





そこで福田総理の辞任表明について。



きっと余裕はなくとも頑張っていたのだろうし、イヤミはあったとしても甘えはなかったのでしょう。

だがしかし。

一個人であれば、あっそうで終わってしまうあのフレーズを聞いた時、それが一国の首相の退陣会見の場に於けるコメントであったというのは、あっぱれヽ(´▽`)/ でありました。




ドイツにいた時、謝罪の意を発したら、内容に関わらず自分の非になるから「ごめんなさい」の一言は決して言うなといわれていました。




自民党の両院議員総会での福田氏の態度は、国民に対するそれよりは、はるかに真摯に感じられたけれど、「ごめんなさい」を言わないという点に於いては、見事にツボを押さえていて、さらにあっぱれでありました。

http://www.jimin.jp/jimin/daily/08_09/03/200903a.shtml






彼にとっての「総理大臣」て何だったんだろう。

地位はあっても力は無いということ?



総理になってから、幾度となくインタビューや対談を聞いたけど、この人って本当に生まれつきの総理だったんじゃないのかってくらい役にはまっていた。
あれほど一国の首相が上から高飛車な発言できるなんて、近代国家とは思えない、むしろギャグみたいで不思議だった。






「あなたと違うから」


これはもう極上です。


その個性的な閃きを、他に生かす事があったらどうなっていたのでしょうとか考えてしまいます。

必要以上に謙虚になりたくないとわかっていても、なかなか自分を誉める勇気はない。

そこでひとつ学んだ事。


凹んだ時には、ぜひ福田さんを見習って、正正堂堂と自分を誉めてみよう。




別の自分が見えてくるかもしれない。

2008年9月 1日 (月)

語る指先

語る指先
高校に入学した年の夏、私はミュンヘンの音楽大学を受験し直した。
ドイツで学ぶ気持ちがあるのならば、1日も早い方がいいとローズル・シュミット教授が勧めてくれたからだ。


最初の1年、ピアノのレッスンといえばバルトークのミクロコスモスとバッハの平均律しか弾かせてもらえなかった。
譜読みが難しい上に、それを全部暗譜しろという。
今となれば、その意図は嫌というほど理解できるものの、当時の私には拷問に他ならない。


ただでさえ憂鬱なレッスンに、拍車をかける出来事があった。


彼女は午前中でレッスンを終わらせる方針らしく、私のレッスンは朝7時45分からだった。
夢気分でうつらうつらしていた朝、電話のベルに起こされると「Shiiii-zuuuuuuu〜&\xAD堯腆亞─Α\xA6#!!!!!!」
ものすごい怒濤の叫びが受話器の向こうから押し寄せて来た。


しまった、今日はピアノの日だ!
髪は寝起きのまま、とりあえず着替え、楽譜を手に必死に走った。

ミュンヘン音大は、かつてヒットラーが指令本部に使っていた大理石の建物で、中央に大階段、2階3階は回廊になっている。
転がる様に走り込んだ私を待っていたのは、入口からは対面に位置する3階の部屋の前に仁王立ちになっている彼女の姿と学校中に響き渡る彼女の叫び声だった。

天上が高い建物ゆえに、できればエレベーターを使いたい。またはショートカットの中央階段で上がりたい。
でも、彼女の手前それもできずに、ゼイゼイいいながら3階まで一挙に階段を駆け上がる。

もうあの日は、何をどう弾いたのか全く覚えていない。レッスン前までの一連の出来事だけが、鮮明に脳裏に焼き付いている。


そんな彼女は、本科の終了を待たずに持病の心臓疾患で亡くなった。その事実をわかっていた上で、彼女は早い渡独を促してくれたのかもしれない。


「指点字」というものをご存知だろうか。
ろう盲者であるバリアフリー研究者の福島智さんのお母様が発明したコミュニケーションの方法である。

彼の目と耳が使えなくなってから、普段はお母様が点字機を使って説明していた。
ある時、点字機のない台所でとっさに質問された彼女は、息子の指に自分の指で点字を打ってみた所、理解できたことから広く使われるようになったのだという。

ろう盲者の場合、コミュニケーションをとる手段が極めて限られている。
この「指点字」ならば、紙の無機質な感触と違って、人の温もりさえ感じられる大変優れた手段に違いない。

福島さんの文章『バリアフリー「酸欠の心」に風送ろう』に
『コミュニケーションは「心の酸素」』
であり
『コミュニケーションが不足 すれば、心は「窒息する」』
とある。
http://www.bfp.rcast.u-tokyo.ac.jp/fukusima/2001c01.htm

視覚も聴覚も失った18歳の時、コミュニケーションの断絶を体験し、再び取り戻した彼が確信したのは
『本当につらいのは「見えない、聞こえない」ことではなく、他者との心の交流が消えること』

福島さんが自分自身の置かれた境遇を「人生の中で何かの意味があるのだと思う込むようにした。生きているだけで人生の90%は成功したようなものだから。」と言い放つことができるのも、そんな経緯があってのことなのかと感じる。


たかが指先、されど目にも耳にも匹敵する大きな可能性があったのか。

「シズ、あなたはピアノを弾いている。それでは人には伝わらない、音楽は語るものだから。ピアノという楽器で伝えたいのならば、指の先で鍵盤に語りなさい。」
ローズルはいつもそう言っていた。

「指点字」、そんなことを思い出させてくれた。

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