希望に代わるもの
音楽が人間にとって一つの記憶の事象である限り、永遠に心から奪うことはできなきないという事。
しかしひとたび、深い悲しみにそれが結び付いたとしたならば、人は自らその音を封印する。
それなのに、耳がそのかけらに再び触れた瞬間、自分でも忘れていたはずの記憶は鮮烈に甦る。
人の心に宿った音楽は、どれほど切り捨てたいと願ったところで、己ですらも、決して奪うことは出来ない。
ならば、音楽を伝える人間は、何処にそれを置くのか。
純粋に聴き手として感銘を覚えた音が、頭の中でループして抜け出せなくなってしまうことがよくある。
そんな時、新しい音を求めて、私は容赦なく音を捨てにかかる。
それなのに、必死な私を嘲笑うかのように、気が付けば音は心のフォルダーに舞い戻っている。
ツアーに行けば、毎日が新しい出会いであり、ほとんどが初めてshezooを聴く人と時間を共有するとなれば、何百、何千回弾いた曲であろうと、その瞬間、昨日までのshezooは存在し得ないのだ。
ショーシャンクの空に
「心の奥底にあるもの、それは希望だ」
音楽は、希望の代弁者なのか。
確かに、そこには絶望も存在するのに。

























